〈最高裁裁判官の適格性という問題〉
憲法がどんなに立派な文言を備えていても、時の権力者の意向次第で全く別の顔を見せる。憲法はまるで着せ替え人形である。憲法自身は、私はそんな恰好は嫌だと思っていても、時の権力者によって、その嫌な衣装を着せられてしまう。
憲法の姿を変えさせないため、行政府が自分の政策をやり易いように憲法の姿を変えるのを阻止するためには、国民はそのような内閣を作らせないように、国会議員の選挙という意思表示手段を利用して行動することがこの国の基本的ルールである。
ところで、法律解釈の本山である最高裁判所が憲法判断を迫られる事態になった場合に、憲法に真正面から向き合い、時の政府の政策目的その他一切の利害を考慮せずに憲法判断をするためには、憲法判断をなす裁判官に、裁判官として最も望ましい人物を得ることが必要であり、そのような状態になることは憲法としては最も喜ばしい場面であろう。
しかし、最高裁判所長官は内閣の指名に基づいて天皇が任命することとされ(憲法6条2項)、その他の最高裁裁判官は内閣が任命することとされている(憲法79条1項)。この任命形式は憲法15条による公務員選定権を保障するものとして定められているものであるが、特定の政策目的をもつ代表者による指名権または任命権の行使によって選ばれる最高裁判所裁判官は、アメリカ連邦最高裁判所判事の任命についてトランプ大統領の指名権行使について紛争が起きているように、程度は違っても、残念ながら政治的無色透明であり得るとは解されない。我が国ではそれによる弊害の防波堤として国民審査制度があるが、その制度は全くと言ってよいほど機能していない。
〈政権の都合に合わせた政治支配〉
2020年1月31日、安倍晋三内閣は当時の東京高等検察庁検事長黒川弘務氏の翌月に迫る定年を8か月延長するとの閣議決定をした。それまでの有権解釈では検察官の定年延長は認められないというものであったから、安倍内閣は、その解釈を変更して、国家公務員法81条の3の定年延長条項は検察官にも適用されると解釈した。
検察庁法32条の2は、「本法と公務員法との関係」を示すものとして、「この法律第15条、第18条乃至第20条及び第22条乃至第25条の規定は、国家公務員法附則第13条の規定により、検察官の職務と責任の特殊性に基いて、同法の特例を定めたものとする」と態々定めている。そこには、前記定年延長規定(第22条)も含まれている。国家公務員法附則第13条の規定は「一般職に属する職員に関し、その職務と責任の特殊性に基いて、この法律の特例を要する場合においては、別に法律又は人事院規則……を以て、これを規定することができる」と定めており、この検察庁法第32条の2は、明らかに国家公務員法81条の2に定める定年に関する規定の特例、つまり特別法であることを明記している。
安倍政権は、この検察庁法と国家公務員法の規定は十分に承知し、解釈変更でことは済まないことを知って、国家公務員定年延長規定と抱き合わせで検察庁法も改正しようとした。しかし、全く思いがけず、黒川弘務氏の賭けマージャンの発覚でその改正は頓挫したが、この定年延長を強行した違法な事実は消えない。また、検察庁法改正の火種は消えていない。
2020年5月20日付朝日新聞に掲載された蟻川恒正日本大学教授の「憲法を考える……その国の7年半」と題する寄稿文の指摘は極めて興味深い。
「現在の日本の政治を取り仕切る最高責任者を自称する首相は……政権中枢の思惑に『配下』の者たちを丸ごと巻き込む政治の型を作り上げてきた。……政権の都合に合わせて憲法の意味を伸縮自在に『解釈』する大小の政治実例が近年目に余るのは、この型の政治支配がいよいよ完成に近づきつつあるしるしでもある。……現政権の政治に一貫する違憲性は、憲法99条(公務員の憲法尊重擁護義務)違反を刻印するのでなければその問題性を十分には表現できない性質のものである」と述べる。
私は、以前から繰り返し、2011年11月16日最高裁判所大法廷の裁判員制度に関する判決の欺瞞性について指摘してきた。最高裁判所は、最終の合憲性決定権を有する機関である(蟻川悦正「憲法解釈権力」勁草書房p207が引用する佐々木惣一氏の所説)。その裁判所がとても信じられないような憲法判断をしたということは、内閣の行う憲法や法律解釈以上の怖さを覚える。