問題ある延命策提案の姿勢
裁判員法附則第9条は、施行3年経過後に、必要があればその制度が「我が国の司法制度の基盤としての役割を十全に果たすことができるよう、所要の措置を講ずるものとする。」と定める。いわゆる3年後の見直し規定である。
日弁連は、裁判員本部内に3年後検討小委員会を設置し、単位会からの意見を踏まえた検討結果を「意見書」案としてまとめ、さらにそれに対する単位会の意見を徴している。
この意見書案は、裁判員制度が、司法制度の基盤としての役割を十全に果たすことができるようにという裁判員法附則の文言に従って制度の不都合な部分を改めようと企図するものである。その内容は、公判前整理手続き関係規定の改訂、裁判員制度対象事件の拡大、公判手続き二分論、裁判員等の心理的負担軽減措置の整備、被告人側の防御権保障等を検討事項とするものである。
日弁連がそれらについて詳細な検討結果を明らかにしていることは、日弁連は制度の存続を前提としてその改訂は必要であるという方向にあることは間違いがない。
ところで、日弁連は、2000年9月12日、「国民の司法参加」に関する意見を司法制度改革審議会に提出した。そこでは、アメリカ型の陪審制度の採用を強く求め、「国民の司法参加制度には、長所もあれば短所もあります。・・・21世紀を展望し、国民が自律した統治主体として参画していく社会にふさわしい司法参加の在り方は何か、それは陪審制度の導入しかないと考えます」と断言していた。
今回の意見は、もはや、その日弁連の金科玉条である陪審制度には見向きもしないで、ただ裁判員制度の延命策を提案しようとする姿勢としか見えない。しかし、それは果たして日弁連のとるべき態度であろうか。因みに、私は陪審制に賛成するものではないから、日弁連は陪審制に向かって前進せよというものではないことを断わっておく。
附則9条の文言は、一見すれば、改正の必要がなければ現行のまま継続するけれども、正すところがあるならば手を入れましょうと読める。しかし、どう手を入れたところで司法制度の基盤としての役割を果たせそうもないという検討結果になれば、この制度は止めにしても良いとも読める。
刑事判決手続きに素人を参加させるという戦後の刑事手続きにおける大改革をしようとするときに、初めから、3年やって見て駄目なら廃止しても良いよ、とあからさまに規定することは立法府としてできる筈がない。だから、3年後見直し規定は、附則9条のような文言に落ち着く以外にはなかったのであろう。
そうであれば、当初陪審制度しかないと断言していた日弁連としては、端から不本意であった筈のこの裁判員制度について、前記のような姑息な延命策を検討するよりも、この際、制度の根本に立ち返って、つまり司法制度と国民参加、その参加強制の是非とその根拠という大命題について根本から検討を加えるべきではないであろうか。
不十分な審議による法の欠陥の影響
この裁判員制度は、司法制度改革審議会における審議の最終段階において、陪審制推進論者とその反対派との妥協の産物としてほとんど憲法論議を経ずに突如として現れたものであり、司法制度改革推進本部の法律案策定作業においても十分な検討がなされず、国会審議においては、日本の刑事司法制度の根幹に関わる極めて重大な法案であったにもかかわらず、3か月弱のうちにほぼ全会一致で衆参両院を通過したものであることは明らかなことである。この国会の拙速審議を可能としたのは、在野の日弁連さえ賛成しているのだから問題がないと判断したと、私はある国会関係者から聞いたことがある。
その拙速審議の結果は何をもたらしたか。一度も施行されないうちに部分判決制度という、裁判員制度の根幹と考えられ、それ故に裁判員制度に賛成しようとする者を生んだ徹底した直接主義・口頭主義を根本から覆滅させるとんでもない制度を、改正案として盛り込むことになってしまった。
さらに、2011年3月11日の大震災により、被災地仙台地方裁判所では審理も終局に近づいていた裁判員裁判で裁判員全員を解任せざるを得ない事態に立ち至り、その後の裁判員選任のための調査・呼出しについて被災地の住民を対象から除外すべきか否かが問題となった。
また、改めて全員を選任し直した裁判員の参加する公判手続きについて、更新手続きの代替措置として弁護人の反対を押し切って、それまでの証拠調べ状況を録画したDVDを証拠として採用し、新裁判員には一回も証人との接触の機会を与えないまま評議判決に至るという、日本の刑事裁判史上嘗てなかった、憲法31条(適正手続規定)に明確に違反するであろう手続きがとられたりすることになった。
立法者にして見れば、かかる天災地変による裁判の中断、裁判員全員解任などという事態は、正に想定外ということであったのであろうが、かかる問題の表面化は十分な審議を欠いたことによる法の欠陥によったものであることは間違いない。
日弁連の前記検討に関する意見書には、このような問題についての検討過程は見出せない。