司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>



 〈怠ってはならない国民による政権監視〉

 国家という国民の共同体を運営する主体は、形式上は国民である。しかし、国民自らが運営に必要な意思決定をすることは不可能であることから、民主主義国家を運営する方法として採られている形式が代議制であり、立憲主義、法治主義である。憲法が国を治める。その憲法に基づいて定められた法律が国を治める。

 これらはすべて言葉によって形成されている。前述のように、使われる言葉にはその言葉を理解する国民の共通の解釈がなされること、その解釈によって国家が運営されることが望ましい。しかし、言葉には二義を許さないものと、解釈を待つものがある。二義の余地のないと思われる「陸海空軍」という言葉とて、自衛隊は陸海空軍に含まれるのか、陸海空軍とは何ぞやとその解釈がせまられる。

 そのため、立憲主義、法治主義が国家運営の基本だといっても、法の解釈者によって恣意的に歪められ運営される事態が生じることは十分に有り得る。陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない、国の交戦権はこれを認めないという規定があっても、自衛権はおろか集団的自衛権も容認する運営が現に行われてしまう。

 

 8月28日、安倍総理は突然総理の職を辞するとの声明を出し、その後寸劇を経て9月16日、菅義偉内閣が誕生した。安倍政権の政策の継承を謳い、安倍内閣の閣僚の半数余をそのまま或いは横滑りで任命した。

 今、諸国では、全体主義化の傾向がみられ、民主主義の危機が叫ばれている。国民がこの傾向を支持、歓迎するというナチス政権誕生時の様相を呈している。政治が法律にさえ従っていればよいというのではなく、憲法の基本原理を守るという方向性は絶対に見失わずに、現実を直視し、現行法規の遵守を基本的義務と心得て、国政運営に当たることが求められる。また、国民も、その解釈にただ盲従しているだけでは民主主義は滅びる。国民は常に権力者の政権運営、法の解釈、執行に厳しい目を注ぎ、発言し続けなければならない。「市民的服従があらたな全体主義の本質です。」「民主主義を破壊しているのはわたし自身なのです。」(マルクス・ガブリエル、中島隆博「全体主義の克服」集英社新書)ということを肝に銘じなければならない。

 私が反対意見を述べ続けてきた裁判員制度は、制度検討時から違憲のデパートと言われ、私も繰り返し、その違憲性を指摘し、これを合憲とする最高裁判決を批判してきた。しかし、最近はその違憲性を指摘する声は極めてか細くなってきた。しかし、違憲・違法なものは、その指摘と撤回を叫び続け、全体主義の流れを食い止めなければならない。


 〈原点回帰がなされなければ未来はない〉

 ところで、今回、菅総理の学術会議会員候補の任命拒否問題が大きな政治問題になっている。その機能の独立性が法律に明記されている機関に関わるこの問題について、学問の自由の侵害ではないか、年間10憶円の予算をつけている政府機関であり、内閣総理大臣の任命権も法律に明記されている以上、その拒否は問題がないと言っているがそれは正当か、などが論点として取り上げられている。

 学術会議の推薦者名簿に目を通さずに「総合的、俯瞰的」に任命したという信じられない違法な行為もさることながら、私が最も気になったのは、学術会議が総理大臣の所轄にかかる行政機関であり、年間10憶円の予算をつけているのだから、学術会議の推薦通りに任命しなかったからといってどうして悪いのかという論法である。

 10月7日の朝日新聞天声人語は、「いくら耳の痛いことを言われても腹を立てない」異見会なる場を初代福岡藩主黒田長政が設けていたことを紹介している。学術会議に10憶円の税金をつぎ込むということは、国政の適切な運営のためには遠慮なく耳の痛いことを言ってくれる人がそばにいることが必要であり、そのための経費なのだとは考えられないのであろうか。
 
 その政府の論法は、予算は政権担当者のためにあるのであって、国民全体のためにあるのではないことになってしまう。それは権力の集中を避けるために三権分立が憲法に規定されたことと発想は同一であり、予算をつけているのだから任命権者は任命問題についてとやかく言われる筋合いはないという態度は、学術会議の独立性を定めた法律の基本的な考え方に反しているのではないかということである。

 安倍政権の要の地位に長年ついていた菅総理の安倍政権継承の公言であれば、憲法・法律無視の態度まで継承したとしてもおかしくはないけれども、正直、若干変化を期待しただけに、この菅総理の対応には失望を禁じ得ない。

 本稿では、数々の目に余る憲法無視、法律無視の態度を取り続けて憲法を泣かせてきた安倍長期政権と、それを忖度して憚らない最高裁判所の在り方に苦言を呈し、憲法も法律も大切にする、国民への奉仕者たる政権担当者の国政に臨む心構えの原点を強調したく、「新しい憲法のはなし」という古典を冒頭に引用した。その原点回帰がなされなければ、この国の未来はない。まして、裁判員制度の廃止などは夢のまた夢になる。頼りは日本弁護士連合会だけなのだが、本当に頼りになれるか自信はない。しかし、情けないことは考えないことにしよう。



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