司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 

12月26日付け朝日新聞朝刊、オピニオン面の「声」欄に、法学者の広渡清吾氏が、特定秘密保護法に反対する学者たちによる記者会見で、「明示的に憲法を改正しないで憲法内容を形骸化」する道を安倍政権が歩んでいることを挙げ、これが麻生太郎副総理が言った「ナチスの手口」だ、と述べたことを取り上げた市民からの投稿が掲載されていた(「秘密法 ナチスの道を進むな」)。

 

投稿者は、ナチスが形式的に民主主義の手続きを踏んで政権を奪取したとき、ドイツ国民ははじめからユダヤ人虐殺などに賛成していたわけではなく、むしろ順法精神によって後戻りができなくなったという認識を示し、こう書いています。

 

「日本人の国民性である順法精神や優しさがあだとなり、戦前のドイツのように、取り返しのつかない道へ国が導かれないかと、疑念は深まるばかりだ」

 

私たちは、今年、「安倍政権」の、まさにあからさまな姿を見せつけられた。特定秘密保護法成立強行に続き、「共謀罪」創設を視野に入れた組織的犯罪処罰法改正検討入り、「外交・安保政策」としての、「愛国心」を盛り込んだ国家安全保障戦略(NSS)、新防衛大綱、中期防衛力整備計画の閣議決定、さらに集団的自衛権の行使容認へ――。「安倍カラ―」と括られるこれらが、数にものをいわせる政治によって、「可能になった」ものとして、ここぞとばかり登場してきた。

 

それは、秘密保護法成立の過程をみれば、誰の目にも明らかなように、国民の懸念と、それに対する慎重な議論を飛び越えることが「可能になった」という彼らの認識を、あからさまに示すものといえる。「ねじれ」を憂い、「決められる政治」を求めた先にあった、これが彼らの、わが国民主主義に与えているあからさまな仕打ちということができる。

 

消費税と異なり、秘密保護法強行は、次の選挙には響かないという、とてつもない国民に対する侮りが、推進した国会議員のなかで語られているという話も伝わっている。だが、そこには、前記投稿者が指摘するような、「順法精神」を逆手にとる、あるいは利用できるとのヨミがあるようにもみえなくない。できてしまえば、国民はわれわれがいう「利」の方を忠実に、あるいは積極的に受けとめ、支持するだろう、と。

 

もちろん、いうまでもなく、国民がフェアに「利」「害」を判断できる情報を提供され、そのうえで支持することに問題があるはずもない。しかし、今の状況は、およそそうでないことは明らかだ。国民のなかに、これだけ多くの懸念がありながら、それにもかかわらず、慎重な姿勢がとられない政治の姿を見れば、既にその前提は崩れているといわなければならない。ただただ、私たちは多数国民に選ばれた、われわれを選んだのはあなた方だ、という、一事をもって、まさに「民主主義」の形式にあぐらをかく、というよりも、わが国の民主主義をそうしたレベルに貶める政治家の姿があるだけだ。

 

この投稿を見て、もう一つ、頭に浮かんだことがある。裁判員制度で、裁判員経験者たちが語ったとして、当局がしきりと制度宣伝に使う「やってよかった」という感想である。ここには、「参加してしまった」人間として、自らの費やした労力や時間を無駄にしたくないという考えが、ともすれば好意的な評価につながる、という見方もあるが、別の見方をすれば、あるいは彼らこそ、制度を推進する側が並べ立てきた、裁判員制度の「民主主義的」な効果、メリットを正面から、生真面目に受けとめてしまった人たちであるかもしれない。

 

不参加には罰則まで課されるという、出来てしまった制度の前に、それがなぜ、強制されなければいけないのか、当局がいうようにそれは参政権に例えられるような権利といえるものなのか、「裁きたくない」という信条を超えて課されるのか、等の疑問を目をつぶり、あるいは喚起されないまま、それこそ「順法精神」に従って参加した人々が発した言葉ではないか、と思えてしまうのである。

 

裁判員制度について、その意味では、まさに前記疑問を極力喚起しない対応が、国家と大マスコミなどの制度推進派によって行われてきた。フェアな情報が示されず、問いかけもなされない彼らの対応もまた、制度スタートありきで、あとは国民の「順法精神」が前に進ませるという、彼らのヨミとつながっていたのではないか。

 

順法精神や優しさがあだとなり、取り返しのつかない道へ私たちは導かれていないかーー。そのことを今こそ、私たちは自身に何度でも問い掛けなければならない。



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