政府の法曹養成制度閣僚会議は7月16日、司法試験年合格3000人の数値目標を「現実性を欠くもの」として当面これに代わる目標を立てないとしたものの、法曹人口、法科大学院、司法試験、司法修習の在り方については、新検討体制でさらに2年、調査・検討する方向を打ち出した。先の法曹養成検討会議の「取りまとめ」をそのままなぞったもので、ほとんどのテーマについての結論が最低2年は先送りされた格好だ。
さらに同閣議決定は、法学未修者の教育の質の保証の観点から法科大学院が共通して進級判定を行う「共通到達度確認試験(仮称)」の早期実現と、その既修者への活用、その結果に応じた短答式免除も目指して、この2年で検討を進め、短答式を目指すとともに、その5年以内試行開始も掲げている。その意味では、効果を測れる制度改正という意味では、さらに先送りされている、という見方もある。
問題は、なぜ、先送りされているのかということだ。「法曹の養成に関するフォーラム」で1年、その後、多くの委員をそのまま横滑りさせた法曹養成制度検討会議で10ヵ月。その結果として、なぜ、結論に到達していないのか。その現実的な理由は、およそ「取りまとめ」も閣議決定も明言していない。えんえんと結論が出せない議論を続けている印象は拭えない。
肝心なことは、本当これが、ある意味、建設的に必要性を想定した期間としての先送りではなく、むしろ現実から目をそらした、取りあえずの結論の先延ばしにみえるところにある。パブリック・コメントのなかで、法科大学院生・司法修習生への経済的支援の要請が強く出され、「給費制」復活を求める声が聞かれても、それはストレートに受けとめない。もちろん、法科大学院本道主義にかかわる司法試験の受験条件化の旗を降ろすという選択肢もない。利用者の立場に立てば、法曹界への志望者減に直結している要因、逆に言えば、もっとも即効性のある、それらの選択肢を俎上に上げることすらできない、ということが、先送りせざるを得ない事情ということができる。そこには文科省、財務省の影響力を読みとることもできなくない。
時間稼ぎによる状況の変化、法科大学院の統廃合による母数の変化と合格率の上昇、さらにその先の弁護士の就職の改善など、好転への淡い期待もあるのかもしれない。いわゆる下位校を切り捨て、上位校が生き残るという形へのシナリオ変更も、この先延ばしの背景には読みとれる。
ただ、これは非常に苦しい見方であることは間違いない。最大の課題である志望者返ってくるという見通しを、この先延ばしの先に読みとっている人の方が、おそらく少なくないはずだ。利用者の視点に立てば、あくまで法科大学院という「プロセス」が提供する価値が、経済的時間的負担に見合うかということが本質的な問題である。また、弁護士の状況についていえば、合格3000人の旗が降ろされたところで、現在起きていることは合格2000人で発生していることだし、増員は続く。この状態で弁護士の経済環境が、今後、好転するという楽観的な見通しに立てるわけでもない。
つまりは、本質的な対策を避けるために、好転のあてがない未来へ、検討という言葉をつないで、先延ばしした。おそらくは、それを進めようとしている多くの関係者も、その不確かな状況を認識したうえで、旗を振っている、とみていい。つまりは、苦しい延ばしのはずなのだ。
先延ばしに「実害」が伴うのであれば、本来、その選択自体に「責任」という問題が発生する。そのこともまた、はっきりしていながら、旗を振る人間たちの「理念」を疑わない主張によって、責任なき「先送り」が平然と行われようとしているのが、不思議なこの「改革」の現実なのである。