司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

「法科大学院制度が失敗だった」という見方は、法曹界とその周辺で、事実上かなり一致したものになりつつあるようにみえる。法科大学院関係者の中には、もちろん「失敗」という言葉が、表現として「終わり」を意味するととらえる人は、決してこの言葉は口にしないにせよ、改善のうえ制度存続を模索するという前提に立てば、少なくともその構想したものとの違いにおいて、現状が「失敗」しているということでは、ほぼ一致しているといっていい。

 ただ、その「失敗」の認識の仕方については、多様である。制度存続を目指す法科大学院関係者の口から出るのは、まず、司法試験の合格率だ。制度スタート以降どんとん下がり2010年の合格率25.4%。司法制度改革審議会が掲げた「7、8割合格」の目標に遠く及ばず、その低下に合わせるように、法科大学院への人気も下がり、受験者は減っている。

 この事情には、必ずといって、同審議会が掲げた2010年ころ年間合格3000人の未達成の現実が重ね合わされ、「増やすな」「ペースを落とせ」という主張をしている弁護士会の姿勢批判につながっていく。

 法科大学院制度が掲げる「多様な人材確保」についても、法律未修者に3年教えただけで、旧司法試験レベルの知識を問うレベルには合格させられず、一方、合格率が法科大学院の評価につながる以上、社会人・未修者を減らさざるを得ないといった事情をいう声も聞こえてくる。

 要するに、諸悪の根源は合格率の低迷であり、その原因は合格させない側にあるという認識にとれる。その先にあるのは、合格させる司法試験にせよ、ということであり、合格者は予定通り増やせ、反対する弁護士会はもってのほかであり、弁護士だってもっと増やしていいはずだ、という主張につながっていく。

 当然、弁護士の中から出ている「質」の問題に対しても、ここは厳格な「品質保証」をいう立場ではなく、とりあえず社会に出して、競争で淘汰されればいいじゃないか、とする経済界などから聞こえてくる論にくみする形にもなる。

 しかし、こうした見方自体が、かなり法科大学院側の都合に偏ったものであることは、総務省に寄せられた「法科大学院(法曹養成制度)の評価に関する研究会報告書」に対する意見からも見えてくる。http://www.soumu.go.jp/menu_kyotsuu/important/38572_1.html

 「大学の授業に比しても、低質・愚弄な授業、講義も多々あり、法曹となってから振り返ってみても、役に立ったと思える授業はごく一部」
 「問題のみを、旧司法試験のものから、新司法試験のものに変更すれば十二分にこと足りたのではないでしょうか。 立ててしまった『箱』(法科大学院の施設)、や『既得権益者』(法科大学院教授)の利益の保持と、法科大学院制度により生じ得る今後の法曹界の弊害、両者を比較考量すればどちらが大きいかは火を見るより明らかです」
 「弁護士資格を取得しても、生活できる収入が見込めないうえ、多額の学費負担、長く見通しのない勉強を長時間強いられる。優秀な学生が敬遠して、定員割れを起こすのは当たり前です。また、不必要に多くの人数について、多額の国費を投入するのは税金の無駄遣いです。旧試験のほうが、社会人に開放的でした。多様な人材が集りました」
 「この新司法試験制度は法曹志望者の都合を考えないお上の一方的な妄想としか思えない。本当に『弁護士』が求められているのだろうか。それなら先の通り訴訟手続きの負担を改善して判事を増加し事件処理速度を増加させるべき」
 「多くのロー生が予備校の講座や答練を受講しており、また新司合格率の高いロースクール内部においては(予備校と提携して)受験のための各種講座・答練が(秘密裏に)実施されている事実も指摘しておかなくてはなりません。『予備校教育=悪、法科大学院教育=善』などといった制度推進者に都合の良い偏ったプロパガンダは間違いであることをはっきりさせるべきです」

 試験に合格させなければ評価が下がるといった専門職大学院の宿命的性格、学生を集めなければ成り立たないという大学運営、挙げた手は簡単におろせないという関係者の都合――およそ法曹養成とは直接関係ない、彼らの事情が法科大学院関係者の認識の根底にあることをうかがわせる。

 別の事情が絡む法科大学院制度に法曹養成をゆだねた妥当性を含めて、「失敗」から学ぶ認識について、ここはご都合に引きずられない慎重な議論が必要である。



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