安倍晋三首相による、突然の衆院解散から始まり、小池百合子・東京都知事の「希望の党」立ち上げ、そして民進党の事実上の解党。「大義なき解散」がいわれ、掲げられた消費税の使い道を変えることの「信を問う」という安倍首相の解散理由にも、多くのコメンテーターは、口をそろえて真の理由は、民進党が離党ドミノと幹事長候補の不倫辞任でガタガタし、小池新党の準備が整わない今を選挙に勝てる時期と見計らったもの、要は首相の「保身」だとした。その矢先、今度は野党第一党が「保守」を表明する勢力に、自ら吸収される道を選ぶ。
私たちはここのところ、私たちが選んだ代表たちの同じ姿を見せつけられているのである。つまりは、自分たちが国会議員にいかにあり続けるかが第一、「生き残り」が自己目的化したような、この国の政治家の姿だ。安倍首相の前記解散理由について、朝日新聞の調べでは、7割の国民が納得していない。臨時国会冒頭の解散が「疑惑隠し」として、これも真の解散理由として本音が国民に透けていた「森友・加計問題」の説明についても、東京新聞の調査で8割が納得できていない。いわば、そんな民意は、関係ないという立場としかみえない。
民進党の前原誠司代表は、この小池氏の「希望の党」への解党的参入に当たり、手段を選ばない安倍政権打倒を、いわば大義として掲げた。前記安倍政権の現実を見れば、そこに前原代表と民進党の妥当な選択をみる国民もいるとは思う。しかし、吸収先の「希望の党」の小池代表は、民進党との「連携」であることをハナから強く否定し、同党からの公認希望者のうち保守派を選別し、リベラル派を排除する、ととれる姿勢を示した。
小池代表側からすれば、「野合」批判を交わし、何かと批判される寄り合い体質の民進党の「二の舞」を避けたい、という話になるが、民進党に期待した有権者は結果的に置き去りになり、また、その一方で、あくまで「保守」政党として多様性を排除する小池新党の真の顔も浮き上がらせる。それでも、ということになるのかどうかという話である。
今回の方針が前原代表から伝えられた民進党の両院議員総会で、出席議員からは一部疑問が出たものの、強い反対論は出ず、提案が了承されたことに、驚いたテレビコメンテーターがいた。この時点で、前記選別の事実まで議員は認識していなかったかもしれないが、出来たばかりの、何が掲げられるか分からない新党に、それなりに歴史ある野党第一党が事実上の解党につながる決断を受け入れたのだ。「打倒安倍政権」への共鳴だけでは、なかなか納得できる説明にならない。
しかも、今、選別・排除の事実が伝わったのならば、政治家として当然、これは受けられない話であって当然だ。保守派だからで、この審判を受ける議員は、生き残りと、これまでの民進の多様性を、内心疎ましくおもっていた、つまりそこにそもそも自党の良さを見出していなかった人物、と見てみたくなる。
見逃せないのは、小池代表が公認への前記選別の具体的な条件として、安保や憲法改正について立場を挙げていることである。「打倒安倍政権」の向こうに、同じ目標や同じ風吹く世界を展開するかもしれない。安倍自民の負け方次第で、そうした目標に向い、彼らが手を携える未来を想像することは容易なのである。「第二民進党」ではなく、むしろ心配すべきは「第二安倍自民党」であるかもしれないのだ。そこまでを、この流れのなかに、今こそ読み取る必要がある。
いま、一番肝心なことは、こうした動きに私たちが慣れてしまわないことではないだろうか。テレビに登場する新聞社の解説委員や評論家たちは、こうした政治の世界のドタバタ劇について、したり顔で「そういうものですから」というニュアンスをお茶の間に垂れ流している。大義なき7条解散にしても、小池代表の選別も、そもそも国会議員が「生き残り」最優先に動きに苦しい屁理屈をつけたり、政治的信念や国民からの負託を忘れたような行動をとっても、まるでそれが私たちが受けとめなければならない「常識」のように伝えてしまう。
「生き残り第一」主義に見える国会議員は、私たちが選んだ代表なのである。コメンテーターらの口からは、「選挙で選ばなければいい」という正論が付け加えられることもあるが、百歩譲っても、今、有権者が何を許してはいけないのか、それを覚醒させる切り口は少ない。
状況はまだ流動的であり、「希望の党」の危さにようやく気付き出した議員もいるようである。私たちも審判の日に向けて、強い警戒感と緊張感をもって、くれぐれも期待先行にならず、個々の議員のこれまでの言動を比べた、現在の立ち位置に気を配り、この事態を見つめていく必要がある。