教育内容の充実や再編への刺激策になるのか、それとも事実上の撤退検討への引導になるのか――1月16日、文科省による法科大学院52校への補助金の増減比率発表は、もはや経済的に追い詰めることに「活路」を見出すしかない、制度の現実を浮き彫りにしたといえる。
司法試験合格率や定員充足度をもとに、「基礎額算定率」を90%から50%まて5ランクに分類。教育内容の充実化提案への評価で出された加算率が加えられる。その結果、最終的に42校が減額、7校は半減されることになっている。減額は、教員数の維持にも影響し、当然、法科大学院そのものの維持というテーマが、突き付けられるところも出で来る。大学当局からみれば、「頑張れ」と尻を叩いていなから、益々頑張りようをなくしているようにもとれるところが、冒頭のとらえ方につながる。
しかし、これが果たして現状を踏まえた根本的な法曹養成制度そのものの立て直し策といえるものなのかは、問われなければならない。刺激策として内容の充実化につながるにしても、あるいはさらに法科大学院の数が絞られることも、効果として歓迎できるという見方も当然あるだろう。ただ、問題は、それが何に対する、どれくらいの程度のものを見込んでいるのか、ということだ。
いろいろな期待感は透けて見える。各大学加算対象になった取り組みには、「国際的」「グローバル」「企業」の文字が並ぶ。基礎額が90%に45%が加算され、最高の135%になった早稲田大の改革案には、海外のロースクールへの派遣を含む「国際化対応プログラム」、 基礎額90%に35%加算の東大も法曹実務を英語で学ぶ授業など「国際的な法律家の育成」、基礎額70%に35%加算の同志社大も海外大学との単位互換プログラムなど「国際性豊かな法曹の育成」を掲げている。また、基礎額90%に30%加算の慶應義塾大は官公庁、企業法務などで活躍する人材の養成、基礎額80%、加算20%の神戸大も、企業活動・法務を視野に現場実体験などを含む「次世代型グローバル・ビジネスロー教育プログラム」実施などを挙げている。
ここで打ち出されていることは、まさにこの間の「法曹有資格者」をめぐる論議や、いわゆる「ミスマッチ」論といわれる弁護士側のニーズに対する適応能力をめぐる議論で、提示されてきた弁護士あるいは「有資格者」の期待される活躍先にマッチした対応とみることができる。
しかし、改めていうまでもなく、いま、法科大学院を中核とする新法曹養成制度に問われているのは、志望者にとっての「価値」だ。そして、それが同時に社会的な意味を持つのは、その志望者が「価値」を見出さないことが、法曹界がより適正・多様な人材を確保できないという、養成制度の根本的な目的にかかわる問題とつながっていているからである。前記評価対象となっている分野に、法曹養成がシフトすることは、その分野のニーズを満たすことがあったとしても、あくまで一分野に過ぎず、法曹が共通してとわれる根本的な評価にかかわるとはいえない。
法科大学院に問われているのは、端的にいって、司法試験合格と、実務家としての能力を養うという意味での「価値」である。司法試験に現実にパスできる能力と、この「プロセス」を経なければ、実務家としては問題があるといせしめるほどの教育があって、それでこそ旧司法試験にも、予備試験に対しても、「プロセス」の正統性が主張できるはずである。新法曹養成制度そこに目標を定め、また、そこに実績をもって到達する自信があるならば、受験要件化という「プロセス」強制化も必要ないはずだ。
逆に、その「価値」の問題が、根本にあることを押さえなければならない。激増政策とともに、「理論と実務の架け橋」といった謳い文句で、少なくとも実務家教育の多くの部分をプロセスのなかで背負うはずだった、法科大学院が現実的に司法試験合格という「価値」だけではなく、もう一つの実務家能力を修練する機関の「価値」を十分に提供できているのか、という問題が根本にないだろうか(「法科大学院教育では実務に役立つ起案能力を涵養する教育がほとんど行われていない」〈「タダスケの日記」〉)。およそ、こうした問題を解消するには、ほとんど実務家が中心に運営する機関に変更しない限り、現実的には不可能ではないか、という見方も法曹界では根強くある。
いくらインハウスや国際的な能力が社会から求められる分野だとしても、それはあくまでこの「改革」が想定し、現在も進行している法曹人口増の「受け皿」の一つでしかないし、また、法曹養成の基本的な役割ともいえない。さらにいえば、彼らのニーズを満たすためのものが、巨額の国費が費やされるこの制度でなければならない、とも断言しにくい。要は、すべては増員政策が破綻し、弁護士のニーズが思ったより顕在化せず、法科大学院も強制化しながら司法試験合格において予想した結果を出せず、それでも「改革」の旗は降ろさず、どうしても制度を存続させるということになって、出てきた、これもまた推進・維持派にとって残された、「活路」でしかないのである。
そもそも弁護士のニーズと増員政策の見誤りを根本的に質さず、業界全体の将来的な経済不安が解消されなければ、法科大学院以前に、法曹界そのものを目指されなくなる。「給費制」を含めて、そこを何とかしない限り、法曹養成そのものが少なくとも適正・良質な人材確保のためには機能しない。
新法曹養成が「強制化」を維持しながら、実務家として欠くことのできない「プロセス」を提供し、それが前記インハウスや国際分野に限らず、社会の要請と定評を生み出し、そしてそれによって志望者は必ずや返って来る――。苦しい制度維持のための、彼らの「活路」の先に、そんな逆転のシナリオは果たして現実的に想定できるのだろうか。