今年の司法試験合格発表に関して、今月、ある経済系ニュースサイトがこんなタイトルの記事を掲載した。
「法科大学院、『無用の長物』化が深刻…出身者は就職不利、司法試験合格者ゼロ校も続出」(ビジネスジャーナル9月10日、ジャーナリスト・平沼健氏)
同月6日に発表された、今年の司法試験合格者が、前年より267人少ない1583人で、22.95%。合格者の減少傾向に歯止めはかからず、その最大の原因は増員政策の失敗によって生み出された弁護士の経済的状況の激変、そのうえに乗っかっている法科大学院制度の時間的経済的負担にある。それによって、この世界を目指すはずの人間たちが離れ出したこと、要するに志望者減が大きく響いているのは明らかだ。
タイトルの「『無用の長物』化」という表現には、やや穏当を欠くという見方もあるが、記事が前記状況を踏まえながら、特に注目したのは「予備試験」組との対比である。今年の予備試験通過組の合格率は合格率61.52%。やや減少傾向にあるものの、法科大学院修了生よりもはるかに高く、連戦連勝が続いている。
ただ、それだけの話ではない。
「さらに、昨今は法科大学院を経由した合格者の評判が芳しくない。弁護士事務所や弁護士法人、一般企業の人事担当者などで、司法試験合格者を採用する場合に法科大学院修了生ではなく、予備試験通過者を好む傾向が顕著になっているのだ」
「ある上場企業の採用担当者は、『毎年合格率が4%未満という超難関試験となっている予備試験を通過した人が優秀であることは疑いようもないが、それ以上に法科大学院修了生は年齢の割に一般常識に欠ける人が多いという傾向がある』と語る」
ここでいう「『無用の長物』化」を感じ出している対象は、もちろん直接的にははっきりと敬遠傾向を示している志望者たちといえる。こうした結果しかだせない法科大学院制度の「価値」を見出していないということにほかならない。しかし、既にその「価値」は、彼らを終了後に使う側である社会が見切りはじめているということなのだ。結果を出せないていないという、法科大学院制度の実績なのである。わざわざ時間とカネを使っていくルートでない方が、優秀と評価され、就職にも有利という現実は、今の時点で勝負がついてしまっている。
法科大学院制度は、修了を司法試験の受験要件とする強制化をとってきた。これは、もし、このプロセスを経ない一発試験を選択制にした場合、選択されないという法科大学院側にとっての脅威が支えている。本来、プロセスの理念の正しさを強調するのであれば、強制化せずとも、なるほど法科大学院を経た人材とは違う、法曹になってからも格段と差が出るといった、志望者からも、社会にからも評価される実績が示されなければならないはずだ。
法科大学院側にその自信があれば、そもそも強制化に頼ることはない。ただ、仮に強制化がとられたとしても、その実績が示せない(それが示せるまでかかるかによっては、もちろん強制化を続ける妥当性が問われるが)のであれば、旧試制度を破壊したこの制度は失敗といわなければならない。そして、予備試験制度との比較において、示されている「結果」は、少なくとも現状、時間とおカネをかける強制プロセスとしての「価値」は示せないという制度の実績として、まず、確認しなければならないはずである。
理念は正しいと以前唱える側からすれば、あくまで「無用の長物」などという表現は受け入れられないだろう。だか、実績が示せなかったという現実を直視必要からすれば、この言葉の現実を確認するところから、制度の今後をとらえなるべきだろう。