「聞く力」「新しい資本主義」「異次元の少子化対策」「所得税減税」・・・。こうした岸田文雄首相が打ち出した政策・キャッチフレーズを思い返す度に、彼は心底どういう気持ちでこれらに臨んだのか、臨むつもりだったのか、という素朴な疑問が頭をよぎってしまう。つまりは、彼はこれを本当に国民に受け容れられるものと考えていたのだろうか、と。
政権支持率の低下に歯止めがかからず、前記いずれの政策・キャッチフレーズも国民には不評をかっている。というか、むしろ大方はじめから彼が、国民に向き合って、国民の求める形から逆算して政策を打ち出してきた、ということには、もはやとっくに多くの国民は疑いの目を向けている、といっていい。
巷間「増税メガネ」というキャッチフレーズの「効果」のように言われている、減税を打ち出した岸田首相が、そちらもまた国民の支持につながらないことに、「恨み節」のようなことを吐いているといった、真実は定かでない情報も一部メディアに流れている。しかし、逆にこれが真実だとすると、ますます彼の感性にも、政治家としての志にもマイナス点がつくだろう。国民を向かず、民意を読めず、そこから逆算したともいえない姿勢でありながら、「なぜ」と首を傾げているような滑稽さまで浮かんできてしまうからだ。
国会で野党議員から、減税を考えるならば、消費税の方が効果がある、と散々突っ込まれても、「少子高齢化が進む中で社会保障費を支える貴重な財源」という文言をひたすら繰り返し、その肝心の減税効果について比較検討したのかと問い詰めても、消費税には手をつけるつもりがないから検討していない、という趣旨を繰り返すばかり。政権関係者の不祥事が出れば、これまた「任命責任を重く受け止める」という言葉を繰り返すだけで、ご自身の進退についても、前記同様、手をつけるつもりがないから検討していない、というご様子。
彼の頭の中には、説明責任を果たさなくても、あるいは、この程度の説明で、なんとかなる、通用する、というお考えがあるだろうということだけは、もはや多くの国民には分かっている。しかし、岸田首相が前記姿勢を改める風でないところをみると、これだけ国民の不評が反映した支持率の現実をみても、まだ、その状況を本当には把握していないのではないか、と疑ってしまうのだ。
「国民をなめている」。インターネット上には、いまや岸田首相に対して、この言葉を浴びせる声で溢れている。国民の気持ちが、この言葉に到達してしまうこと自体は、前記現実を振り返れば、もはや必然と言いたくはなる。もちろん、岸田政権にとどまらず、とっくに国民は、この国の政権担当者や政治家からなめられてきた、とも言わなければならない。しかし、あえていえば、その多くの国民が、なぜ、ここまで自分たちが彼らになめられることになっているのか、について、十分に向き合っているか、といえば、それもまた、残念ながら疑問といわなければならない。そこを、彼らに見透かされていないだろうか。
これまでも度々、ここで書いてきたことではあるが、今、わが国のこの状況を作り出しているといっていい、私たちと政治権力者との関係に欠けているのは、一重に緊張感、緊張関係である、といわなければならない。とりみなおさず、「なめられている」最大の原因であるといっていいだろう。
つまり、表に反映しない、従って、政治的立場を脅かすこともない「世論」ならば、彼らは「許される」と考える。逆に言えば、この国のため、国民のため、というお題目を並べても、最大の基準がそこならば、説明責任も、引責辞任も「手をつけるつもりがない」で済まされる。政策も、どんなに批判されようと、前記基準を揺るがさないのであれば、通してしまう。きっと国民は選挙では忘れてくれている、大勢に影響ないはずだ、という認識になる。「なめられている」原因を考えれば、国民にも責任はある。
では、その緊張感のない関係を生み出している、国民側の姿勢のどこに問題があるかを考えると、浮かび上がるのは、根本的な政治への無関心であり、さらにそれにつながっている、政治に対する「タブー視」の問題を挙げざるを得ない。
かなり以前になるが、2003年に国民の政治へのタブー視に関連して、民間の調査機関が、全国の20歳以上の男女を対象に行った調査結果 (有効回答者数1025人がある。国の政治を話題として避けている理由の上位をみると、「楽しくないから」(家族/友人・知人で1位、さほど親しくない人で3位)、「話す必要がないから」(家族で2位、友人・知人で3位、さほど親しくない人で2位)、「縁遠い話しだから」(家族で3位、友人・知人で4位、さほど親しくないで人5位)、「人を傷つけそうだから」(家族で4位、友人・知人2位、さほど親しくない人で1位)だった。
この結果からは、政治に関する距離感ともに、政治的な話題が人間関係に摩擦を生む可能性を考え、人との会話において価値摩擦・対立を避けようする姿もくっきりと表れていた。魅力がない政治に慣れてしまうとともに、個人の経済的豊かさや成功に目がいく意識(勝ち組志向の意識)のなかで、政治的関心をネガティブにとらえる傾向が強まってきた。
そして、それは高度経済成長後の日本にあって、国民の中に、どんどん醸成され、現在に至っているととれる。それは、前記政治権力者の都合を重ね合わせれば、むしろ意図的にこの状況は作られ、誘導され、彼らにとっては、まんまと国民をなめても通用する政治に「成功」している、という捉え方もできてしまうのだ。
国民自身が、今こそ、このことに覚醒、自覚するところから始めなければ、わが国のこの異常な状況から、根本的に脱することはできないような気がしてならない。