司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 司法試験の予備試験の今年の志願者数が1万1255人と、初めて1万人を突破し、その「人気ぶり」が報じられている。もちろん、これは多くのマスコミも報じるように、法科大学院「不人気」あるいは「離れ」という現実と表裏をなしている。事実、法科大学院の志願者は昨年、ピークだった2004年の4分の1、今春の入学者数も2698人と最高だった2006年の半数以下となり、9割で定員を下回った。

 これは、いうまでもなく、法曹志望者が現在の法科大学院制度、少なくともこれを「中核」と位置付けた現在の法曹養成に対し、ノ―を突き付けていること、つまりは、現状においては、この「プロセス」に価値を見出していないことを示しているのは明らかだ。ところが、法科大学院関係者も、また「改革」推進派の大マスコミにしても、その受けとめ方は、依然として、奇妙なものだ。それは、なぜ、こうした現象に至っているのかを、分かっているのに、分かっていないふりをしているようにしかとれない反応だからである。

 予備試験という選択は、当然に、法科大学院という「プロセス」の経済的時間的負担にあることは明らかだ。正確に言えば、その負担に見合う価値を、そこに見出せないという利用者の判断であることは間違いない。もちろん、同時に「改革」の法曹激増政策と弁護士の就職難、給費制廃止といった現実が、前記負担に見合う価値を利用者が考える場合に、「プロセス」を選択しないという方向に作用する材料になっていることも、またはっきりしている。

 ところが、依然として、この「プロセス」を堅持しようとする側の着眼点は、司法試験の合格率である。とにかく、「プロセス」が合格という結果を出されば、志望者は戻って来る、統廃合によって、「名目」上それが高まれば、なんとかなるという発想――。

 「予備試験人気の理由とされるのは、通過者の司法試験合格率だ。昨年は68・2%で、法科大学院を修了した受験者全体の25・1%だけでなく、最も高かった一橋大の57%も上回った」

 こんな不思議な分析を加える新聞報道(産経5月12日配信) もあった。昨年の予備試験の合格率が3%という超難関であることを度外視する理由はどこにあるのだろうか。合格率が「人気」の決め手でないことは、旧司法試験を見れば明らかという声もあるが、これほどはっきりしていることを曲げて、ここに着眼させようとすることの真意を、どうしても問い質したくなる。

 結局、この奇妙さの先に見えてくるものは、一つしかない。実は、「プロセス」自体の価値で勝負する自信がない、ということだ。経済的時間的負担があっても、法科大学院が選択される内容的な価値を提供できるという見通しに立てない。それがゆえに、法科大学院存続を前提とする限り、「合格率」と言い続けるしかない。

 そもそもはじめから、この「プロセス」導入にその自信があったかといえば、それも甚だ疑問である。いうまでもなく、その内容的価値、つまりは、それを経ることによって、能力的にも評価としても、その後の法曹としての活動に差が明らかに出で来るといったことがあるならば、受験資格化にこだわったり、予備試験ルートの冷遇策を強調する必要はない。根底にあるのは、はじめから強制しなければ利用されなくなるという脅威、価値を提供することへの自信のなさにほかならない。

 皮肉にも、その評価という点においても、いまや難関予備試験組が、明らかに法科大学院修了組を凌駕してしまっている。それがまた、「人気」に拍車をかけていると見ることもできる。

 この予備試験人気に脅威を抱く側は、同試験を「抜け道」と位置付け、これが本流になることの筋違いを強調して、早くもその受験年齢制限など、新たな冷遇策・法科大学院強制策を主張し始めている(前出「産経」)。「点からプロセス」を旗印に、「改革」が最上段に振りかぶったはずの、その「価値」をいうのであれば、本来は、予備試験人気にみる利用者選択の現実を正面から受けとめ、それでも利用者の意思で選択される「価値」の提供を模索するという姿勢があってもいいはずである。

 それがない主張のご都合主義は明らかだが、それ以上に、この先に今の状況を本質的に好転させる道が現れないこともまた、もはや明らかであるように思えてならない。



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