5月号の月報司法書士の特集は、「人権感覚と人権擁護意識~改めて人権を考える」というものだった。司法書士人生26年になるが、司法書士会の機関誌が「基本的人権」を正面から取り上げたことはこれまでになかったのではないか。
機関誌月報司法書士で「倫倫品品」は、五月蠅(うるさい)位に取り上げては高まる論者が、その自己愛に打ち震えるという場であったのに、これからは、司法書士も人権感覚と人権擁護意識について研究しようというのである。これは一体どうしたことだ。しかしとにかく人権感覚の保持は「倫倫品品」の基礎をなすものであるから、できればこれからも続けて行ってもらいたい。
これまで、憲法と基本的人権について、司法書士の関心が薄かった又は司法書士が無関心であった原因には、司法書士の核心的業務である不動産担保と不動産売買という登記実務に、憲法問題、憲法という法律の解釈が、直接問題となることがなかったということもある。又、法務局出題の試験科目にも長年当然のように憲法という試験科目はなかった。監督当局の評価では、司法書士に憲法と基本的人権に関する知識は必要不可欠ではなかったのである。確かに、憲法という国民及び国の基本法は、法解釈という点で見れば、非常に難しい法律であるし、憲法を理解するには、憲法訴訟の理論と判例は当然のこと、行政を規制する法律が憲法なのであるから、行政法の知識も必要になる。とすれば登記專業者に憲法の知識まで求めなくても不都合はなかった。
ということを考えれば、司法書士の指導の任にあたる司法書士会執行部にとって見れば、感情論の一種でしかない、具体的基準の存在しない「倫倫品品」を会員向けに論ずる方が、ずっと楽であるし、その場での感情的自己満足も楽しく得やすいということになる。しかし、司法書士の人権感覚の鈍さの原因、真相は実は別のところにあると私は考えている。それを考えればそのような状況に置かれている司法書士にも気の毒な面が無いでもない。
その原因とは、司法書士自身の人権が、団体への強制加入と法務局長の懲戒権によって制限されていることにあると考える。監督庁下にある団体の構成員が、人権意識が強く何事につけ公開法廷で構成員が権利主張をすれば、役所も司法書士を規制しにくいだろうし、団体執行部も会員を指導しにくくなるだろう。
憲法は、基本的人権として、職業選択の自由権、営業の自由権、表現の自由権、私有財産権、プライバシー権、幸福追求権・・・他31条の適正手続権、35条の令状主義、38条の自己負罪の禁止等々を、当然に国民の一人として司法書士にも認め保障している。ただし上記基本権も「公共の福祉」の要請を理由に例外的に制限されることはある。基本権的人権も内在的制約には従うということだ。
司法書士法により一定の事務、すなわち限定列挙された3条業務については、その業務の性質が高度に公益的なものであるから、基本権の例外として司法書士に業務独占を認めるが、その代わりにその適正な行使について利用者、登記サービスの消費者国民の利益を代表して「法律による行政の原則」に従う担当の行政庁が、司法書士の3条業務の実行につき、厳しく規制監督することになっている。