司法書士の強制入会制度についてはそれを適法であるとする古い判決がある。終戦後強制入会制度が廃止されたのちに司法書士の不正行為が頻発したがそれを防止するための制度として合理性があるという理由だった。制度というものは、その時代の需要にもこたえるものであるから、終戦直後の事情ということや登記サービスの均一な提供ということを考えれば、司法書士個人の憲法上の権利が規制により最小限制限されるのは致し方なかったかも知れない。
弁護士会の強制入会制度にも憲法上の問題がないとは言えない。しかし、弁護士業務は近代自由主義国家制度の一角をなす普遍的要素的な業務であって、司法書士制度と同列に論ずることは出来ない。弁護士については強制入会制度の無い欧米においても厳しく資格管理、規制がなされている。しかし、資格者自身への規制と業者カルテルに繋がりかねない強制入会団体制度存否の問題とは別のレベルの問題ではある。
司法書士法改正前の司法書士試験において憲法が試験科目になかったのは、規制の対象とされる3条業務が、登記という経済行為に関わるものであって、直接憲法上の保護が必要とされるようなものでは無いと考えられていたからだ。いわゆるハイエクのいう積極規制であるから目的手段の合理性からその規制の適法性が判断されるというわけである。司法書士個人の人権の規制の適法性については、今日では改正行政手続法ほかの個別法にまずは拠ることになるだろう。
司法書士の強制入会制度が、その団体に帰属している司法書士の人権意識に、個人の尊厳と自由権、プライバシイ権尊重の意識に影響を与えていることは明らかであり、高度に情報化し、グローバル化して行く21世紀において合理的な制度と言えるかどうか疑問である。今日の簡裁代理権含む司法書士資格においても、司法書士個人の非行違法行為については、刑法上民法上の責任を直接問えば足りるのであって、それ以上の規制を司法書士に加えるとすれば、その規制は直ちに司法書士の営業の自由権を抑圧侵害することになりかねない。
しかし、司法書士の大部分は今でも、この強制入会制度と業務独占制度が自分たちの生活を守ってくれていると考えている。しかし、本当に生活、即ち司法書士業務による営業収入が強制入会制度と業務独占制度により守られているのだろうか。このことを今だからこそ冷静に振り返ってみることが必要だろう。