司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 

 平成31年、2019年、1月31日となった。昨日は、埼玉県東浦和市にある介護付き高齢者住宅アズハイムにいる高校時代のクラスメイトに同級生と共に見舞いに行ってきた。高齢者住宅と言っても、要介護4から5の方たちがほとんどの、特養のような全戸個室のアパート風の施設である。

 

 そのクラスメイトTがこの施設に入居したのは、東北大震災のあった8年前のことであった。2011年正月、恒例の小石川高校B組新年会の10日後、脳梗塞で倒れ、半年ほど治療とリハビリをした後、私が紹介した司法書士を後見人にしてこの施設に入居した。以来、1年に1回ほど、友人と見舞いに来ているが、入居している70代、80代の車椅子に乗って所在無げに空を見つめている高齢者の人達を見ると、正直に言えば来るたびにぞっとする。

 

 社会の高齢化は欧米も同じだが、欧米の高齢者も似たようなものなのであろうか。今年7月13日に私も75歳となる。立派な後期高齢者となるわけだ。10年後には85歳となり、更に10年後は95歳・・、10年後に死ぬとは思えないから95歳まで行くのか、本当に人生100年時代となったのかもしれない。

 

 しかし、そのことを無邪気に喜べるかと言えばだれも喜べないどころか、恐怖を覚える人も少なくはないだろう。オリンピックの2年後に団塊世代が75歳となる。年金はもう支給されているだろうが90歳まで生きるとすれば20年間は年金が支給され続けることになり、更に最後の5~6年は介護の世話になることになるだろう。この莫大な費用はどこから捻出してくるのだろう。税金と保険金ということになるが、現状の500兆円のGDPではとてもまかなえない。奇跡の経済成長を実現しようにも、その担い手が少子化、未婚化で減る一方では全く不可能であることは火を見るより明らかだ。

 

 この問題の解はいまだに全く見えない。老人と女性を働かせ、外国から労働力を輸入しても、それがこの問題の解とはならない。むしろ問題を余計に複雑にし、「ヨーロッパの死」を後追いすることになるだろう。しかし、未来は意外な形でやってくるかも知れない。

 

 平成の30年は終わるが、この30年を一言でいえば、無理と強運によって築かれた経済成長の成果が不動産、金融バブルで吹っ飛んだ後に続いた「停滞の30年」ということが出来るだろう。この停滞の30年は、私の司法書士としての30年でもあった。最初の10年は不動産登記、住宅ローンの10年、強制入会制度の業務独占の利益が、すべての司法書士を潤した10年でもあった。そしてバブルが崩壊し個人の自己破産と債務整理の10年が続き、過払い金の返還と本人訴訟の10年が、平成最後の10年となった。つまり停滞の30年で飯を食って来たということだ。

 

 この30年間で起きたこと、阪神淡路大震災、オウム事件、東北大震災と大津波、福島原発事故、そして最後にトランプ大統領の登場とユーロ危機に表れたヨーロッパ文明の終わり、朝鮮の統一問題等、大きな歴史の変わり目を示すような災害や事件が続いた。日本人はこの30年で、すっかり内向きとなり、欧米への旅行者も減り、留学生も減り続けている。内省の時代に入ったのかも知れない。あるいは戦後という時代の疲れがこの国ばかりか世界を覆っているのかも知れない。しかしこの中にも未来を感じさせるものは見えなくはない。

 

 とにかくGDPが指標となるような時代は終わったし、終わらせるべきだし、オリンピックも万国博も時代の疲れを癒すようなことにはならないだろう。人口構成の急激な変化、死亡者の激増、高齢者の激増、未婚者の激増、世帯数の減少、今起こりつつあるこうした日本社会の構造的変化が何かを引き起こし、新しい何かを作り上げるだろう。そのキーワードは「個人の力」ではないか。「個人の尊厳」という観念は、これまでの日本人の歴史には無かった。しかし今、投票権者でもあり、市場の選択者でもある個人の力への注目が広がっているのではなかろうか。

 

 その個人の力が、政治を変え、社会を変える頃、私は生きているだろうか。その時を見るまで生きてはいたい。



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