月報司法書士3月号に、司法書士制度審議会委員 細田 長司氏の「原点に戻る」という巻頭文が掲載されていた。見開き2ページの写真入り巻頭文を読んで、私には「原点に戻る」という細田氏の会員への訴えは、「原点に転落する」という風に読めた。頭書きではアベノミックスの効能と結果にふれたあと、国民間の格差拡大にふれ、そのあと「幼少時代の東京オリンピック開催前後の時代を思い起こす。貧富の差はあったが、その差は小さく、全員が同じような物を食べ、同じような服装で生活をしていた」と懐旧の情にふける。
その頃の時代が?ホント? それは嘘だろうと私は思う。私はその頃東京に住んでいたが、人々は平均に貧乏だっただけで、貧富の差はもっと激烈に大きかった。一方には女中さんがいてピアノがある家があり、一方にはトタン屋根の家もあった。田舎の百姓家の暮らしはもっとひどかった。だから都会の金持ちは、田舎から女中さんをいくらでも調達出来た。女中という言葉が人手不足から死語となるのは高度経済成長が始まってからのことだ。
当時よりは今の方が、幸せかどうかは知らないが、ユニクロやニトリのおかげで、消費生活は皆同じようなもので細田氏のメガネから見えるよりももっと平等らしく見える。豪華クルーズ客船は、田舎の郵便局長や村会議員らしき人や定年退職夫婦であふれかえっている。むしろその平等らしさこそが、逆に普通の人々の格差意識を敏感にさせているのではないか。
東京オリンピックから「50年を経た今の世相はどうであろうか、高度経済成長からバブル時代にかけて『1億総中流社会』と言われ、バブル崩壊後は『失われた20年』と言われ、あまりの変化に付いて行けず、一流企業が倒産した。・・ホームレスになった人々も多く現れた」と細田氏は述べるが、実は、1980年代からバブル崩壊までの、2000年までの20年間は、住宅ローンと不動産バブルのおかげで、司法書士絶頂の時代だったのである。
司法書士絶頂時代を終わらせたのは、不動産バブル崩壊が直接の原因ではあったが、構造的要因としては何よりも情報技術の進歩がある。司法書士だけでなく資格者間での情報技術格差は今も広がりつつある。来年から国民総背番号制が始まるが、法務局もいよいよ腹をくくる時を迎えたのではないか。登記オンライン化への要請をこれ以上先送りするのはむりだろう。
細田氏は言う。「私が開業した昭和53年(1978年)当時は、司法書士の大半が登記業務中心の事務所経営をしていた。報酬は、法務省認可の規定表に基づくものであり、報酬の多寡で業務が依頼されることはなかった」そうである。価格競争はなく利用者、消費者には、価格を通して司法書士を選別することは出来なかった。ここに全青司結成40周年記念OB会が出版した「司法書士を慈しむ」という小冊子がある。それによれば昭和53年の法改正で司法書士制度は国家試験制度となった。細田氏は認可制度最後の人だったかも知れない。
国家試験制度への移行は、それまでの、司法省、裁判所、法務局の監督下での陰々滅滅たる司法書士の歴史に明るい展望を開いた。宅建並みの試験も昭和56年頃から難しくなり始め、昭和60年代になると司法試験に次ぐ難関試験と評される様になった。その結果、司法試験転向組を含め優秀な人材が集まって来るようになった。司法書士制度は一役所の補助機関、退職登記官の天下り先ではなく、国家の公的な制度となったかに思われた。
この国家試験制度への移行は偶然では無い。経済成長時代の活発な経済取引を支えていたのは金融であり、資本不足時代の金融制度を支えていたのが、不動産神話と結び付いていた不動産担保制度であった。そして、その事務を一手に引き受けていたのが、つまり独占していたのが、司法書士達なのであった。昭和53年開業した細田氏の事務所も、その経済の大波に乗り、価格と業務独占に保護されて、順調に発展して行ったことだろう。その世代の人たちが今その時代の「司法書士を慈しむ」気持ちは良く分かる。