5月11日水曜日、東北関東津波大震災から2ヶ月を経た。桜の季節は早くも去り大都市東京は広がる不安の内に沈んでいる。大津波災害の現場は、原爆投下後の広島、B29東京大空襲の焼け跡の風景とそっくりだった。
アメリカの歴史家、トニー・ジャットはその著「荒廃する世界のなかで」(みすず書房)の、冒頭で、「今日のわたしたちの生き方には、何か途方もない間違いがあります。わたしたちはこの30年間、物質的な自己利益の追求をよしとしてきました。実を言えば、今のわたしたちに共通の目標らしきものが残っているとすれば、この追求を措いて他にありません」と言う。
金融マネーゲームが自己崩壊したリーマンショック以来、昨日までの「資本主義万歳、経済成長の持続こそが正義」という世界中を席捲していた合言葉が、原発と地震津波であっけなくしぼんでしまった。20年不況と高齢化、労働力現象で、これからの日本の行く末につき方向を見失っていたところに、今回の東北関東大津波大地震である。おかげで司法書士のこれからどころか、この国のこれからがさっぱり見えなくなってしまったかに見える。
終わりの見えない原発崩壊で落ち着かない日々を送っている国民だが、焼け跡の貧乏を生き、吉永小百合の「キューポラのある街」を見たことのある世代にとっては、腹のくくりかたもあるだろう。ファシズム、天皇制全体主義国家に、「民主主義勢力」が最後の原爆2発で完勝した頃が、自信に満ちた先進国20世紀楽天主義の始まりだったと言えるのではないか。敗戦国の日本、ドイツ含め、その時から復興需要に支えられた先進国のとどまることがなきかに見える経済成長の時代が始まった。
19世紀ヨーロッパの啓蒙主義進歩主義を背景に、科学技術の力が経済を飛躍的に拡大し、その結果としての富の蓄積に支えられて、20世紀には自由平等博愛というその理想が近いうちに実現するだろうと人類は疑わなかった。その楽天性が「成員の圧倒的多数が。貧しく惨めであるような社会が、繁栄し幸福であるなどと言えないのは確かだ」(アダムスミス「道徳感情論」)という道徳感情を、先進国政府が政策にとりこみ、それが社会保障制度の基礎となって行く。
科学技術と進歩の20世紀初頭には、その40年後に、最後の世界戦争が起こるなどとは世界の誰も考えていなかっただろう。最後の世界戦争、第二次大戦は、事実上アメリカの一人勝ちであった。しかし、この頃のアメリカには1930年代のニューデイール政策とその思想、ルーズベルトの善意と理想主義が生きていて、アメリカは品位と威厳ある勝者として、ヨーロッパやアジアの戦後復興に、精神的にも物質的にも寄与したのである。
また戦災を免れたアメリカの開かれた巨大な市場が、復興ヨーロッパや日本の急速な経済成長の確実な支えとなった。1950年代はアメリカのゴールデンエージだった。トラックの運転手エルビスプレスリーが億万長者の歌手となったばかりでなく、労働組合の力や社会保障政策のおかげで普通の労働者家庭が豊かさをエンジョイでき、その子弟の未来の幸せを確信できるような社会であった。
1930年代から60年代の30年間のアメリカは人民間の平等に配慮した、道徳を忘れていない国だった。しかし、1970年代からアメリカは徐々に変わって行く。そして「今日のわたしたちの生き方には、何か途方もない間違いがあります。わたしたちはこの30年間、物質的な自己利益の追求をよしとしてきました。実を言えば、今のわたしたちに共通の目標らしきものが残っているとすれば、この追求を措いて他にありません」(トニー・ジャット「荒廃する世界のなかで」)というアメリカとなった。
「しかし物質的な自己利益の追求をよしとし、今のわたしたちに共通の目標らしきものが残っているとすれば、この追求を措いて他にありません」という事情は日本も全く同じ状況にあると思われる。この30年間、1980年代、1990年代、2000年代、この30年間を生きてきた日本の青年たちは「物質的な自己利益の追求」以外に何を生きる支えとしているのだろうか。
東北関東大津波大震災で、日本国は50兆円の損害を被ったと言う。国民はとにかく東北の復興に一人頭50万円を支払うことになる。4人家族の復興負担金は200万円で所得はその分減じ、消費もその分減ることになる。物質的な自己利益の追求と経済成長を支えとして生きてきた日本人は、ここにきてはじめて他者の災難と苦痛を否応無く分かち合うことになる。
日本人にとって未知の歴史が今始まりつつあるようだ。