司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 

 平成30年、2018年7月13日に、74歳となってから、だらだらと過ごしいつの間にか12月となってしまった。この間、75歳からの人生というのがいつも頭に引っかかっていた。75歳になれば80歳が目の前に見えてくる。この間に、いわゆるサルコペニア、いたるところの筋肉や組織が縮小して行く。社会にも国にも、それが人間という生物の集まりが実体であるとすると、その生物の集まり、集団にも、誕生、成長、成熟、加齢に伴う収縮、そして死という事があるのかもしれない。いやあるに違いない。

 

 今、私の属している昭和憲法が規定する国にも、やはり寿命があるのかもしれない。私は、その新しい憲法の誕生する直前に生まれているから、私の一生は、その新しい国と共に生きてきて現在となった。この国が誕生する前には、明治立憲君主制という別の国があった。その国は自分の仕掛けた戦争に完敗し、勝者であるアメリカを中心とした連合国に占領され、その支配下の指導の下で立憲民主国として新たな国となった。

 

 日本には原爆が二発落とされ、大空襲もあったが、沖縄を犠牲にして、本土決戦は免れた。ここは、ドイツとかソ連とかヨーロッパとは大いに異なるところで、私自身は、2歳までは四国に疎開していて、その後、父がフィリピンから帰国し、一家は、空襲を免れた長浜、大津、熊本の各役所の官舎を転転し、昭和25年、中野区旭丘の官舎に住むことになった。それで、私自身は焼け跡の都市の悲惨を直接目にすることはなかった。

 

 その頃、私は6歳だったが、防空壕跡や焼け野原が格好の子供の遊び場だった。この国の誕生期には、子供ながらに、大人たちの過去の戦争に対する悔いと政府軍部への強い怒りが伝わって来たように思う。終戦時の日本の人口は8000万人であった。1951年、小学1年生となり、東京タワーが登場したのが中学1年の時、この時代は、ストライキの赤旗も珍しくはなく、一方で、資本家は朝鮮特需で大いに儲かり、高度経済成長の基盤が作られたのはこの頃だった。

 

 この時から新日本は成長期を迎える。1960年の安保改定反対運動の盛り上がりを境に、労働側に対して産業側優位となった。経済学はマルクス全盛からケインズへの転向が始まる。1960年代から1970年代についに日本は東洋のライジングサンとなり、人口も1億を超えた。それから未曽有の不動産バブルがやってきて、そして破綻する。新日本は成長を経て成熟期を迎えた。私も40歳から60歳になった。高齢期を迎える。そして加齢による変化を感じるようになったのだ。かっては名の知れた多くの会社や銀行がいつのまにか無くなった。バブル崩壊から続く低成長時代は20年を超え、今日では深刻な人口減少問題が日々議論されるようになっている。

 

 国にも文明にも、一定の区画に集まった人間集団から、それが構成されていれば、生物の集団の現象であるのだから、誕生、成長、成熟、老化、の循環はあるだろう。私には、そのことが、新日本の誕生とともに生まれ育ち高齢化して来たのだから実感として良く分かる。しかし、人間という動物の集団である社会は、死なない。文明、制度は死んでも、社会は死なない。新しい装いをもって再びよみがえる。

 

 昭和憲法の日本国はどうだろう。自由、平等、民主制の国は老いつつあるのではないか。アメリカの憲法のようにいまだに不動の権威と国民の信頼を得続けている憲法のように、強い生命力を持っているのだろうか。アメリカの憲法は、時に応じ、修正条項を加え、最高裁判例も、又、時代の変化を読み取り今日まで生き続けている。私は、アメリカの自由と民主主義の力に期待している。アメリカ人民の民主主義の力、これが衰えるとき、第三次世界大戦が起ると思う。民主主義誕生の地、アメリカの民主主義がその力を失うとき、個人の自由が失われ、秩序は崩壊し、暴力と専制権力が支配する世界となる。世界の多くの人もそう考えているだろう。来年は、アメリカ民主主義と普遍主義の復活の年であってほしい。

 

 では、皆さん、良いお年を。



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