・・・「平然としてそれが正義の当然の犠牲者と考えていた」ということに気が付くと、一体何でそんな発想が出来るのだろうと、ロシア革命からさかのぼり、19世紀のマルクス時代、それを生み出したドイツ哲学とドイツという国、さらにヒューマニズムの原点となったフランス革命とフランスという国、そしてナポレオンの共和主義、ナポレオン支配下に置かれたバラバラ小国よりなるイタリア、そのイタリアがムッソリーニの協同組合国家、すなわちファシズムを誕生させる。
人間の自由、個人の尊厳と自由、この価値観は一体どこからいつから生まれたのだろうと私はさらに世界史をさかのぼる。その起源は、フランス革命の理念でもある自由の起源は、どうも17世紀イギリスにあるようにと思えた。ピューリタン革命と名誉革命である。
結局、20世紀は、暴力の時代であった。
核兵器の出現によって大きな戦争は回避されているが、21世紀になった今でも、最終核戦争が起こらないなどとは誰も言えない。
しかし、世界の人々は、アフリカを含め少しずつ豊になっているのも事実である。革命も暴力であるし、帝国主義も植民地主義も暴力を手段としていた。しかも、欠乏は暴力を好む。
21世紀は、豊かさをさらに広げるだろうか。それが広がれば、暴力の影は薄らぐだろう。貧困と欠乏は、憎しみや嫉妬心を生み出しそれは簡単に他者への暴力的攻撃に変る。20世紀と言わず、近代という時代を総括してみる時が来たのかも知れない。
21世紀は多様性と寛容、開かれた強い心が何よりも求められる時代になるのかも知れない。尖閣列島や竹島問題、北方四島問題、北朝鮮核問題等々を目の前にしつつ、独特の歴史を持った島国に住む日本人が、自由で多様な価値観、様々な生活スタイルを認め、寛容で、自己責任を人格の柱にすえた強い心を持つ人間に果たして変って行くことが出来るのだろうか。自由な人間に。
今年は、モンゴルとインドネシアに行くつもりだ。最近はアジアにはまっている。日本のニュースは面白くない。それでBSNHKのホットアジアを見ている。21世紀前半はインド含めたアジアの時代、後半はアフリカの時代になるのだろう。
日本から旅行者向けアンコールワット直通便が出るそうだ。カンボジアにはもう一度行ってみたい。カンボジアンスマイルは有名だ。確かにクメール人ははにかみやで内気そうな優しい人たちのように見えた。東洋系のベトナム人とは明らかに違う。不思議な国であった。=この項終わり