私も全くそう思う。堀田氏の指摘する「後見の歴史の影響によって、後見の主たる業務は財産の管理であると誤解しやすい実務の状況がある」という成年後見実務についての現在の状況は、実は、仲間内の民事法務局と司法書士会とが、2000年の成年後見制度施行以来、今日まで、16年をかけて作り上げて来たものと私は思う。
2000年は、介護保険制度もスタートし、同時に「措置(行政処分)から契約へ」という日本の福祉行政、社会保障制度にとって、画期的な制度改革が行われた年でもあった。措置から契約への移行は、地方自治改革とも並行して行われた。2000年施行の地方分権一括法である。どちらの改革においても、その柱に「個人の尊厳(憲法13条)という柱」が厳然と立ち聳えている。
日本の司法書士とその団体に、根本的に欠けていたし、今でもかけているのが、個人の尊厳(憲法13条)という価値観と意識であるが、その欠落こそが、「後見の主たる業務は財産の管理であると誤解しやすい実務の状況」を作り上げて来たのであり、施行以来16年、この間の、司法書士の相次ぐ横領事件で、内閣府からの、非営利社団法人資格の取り消しという、司法書士会が成年後見事務のために作ったリーガルサポートという名の公益社団法人への警告となったわけである。
登記という本来の業務が減少し、おそらくIT化や国民ナンバー制度の進展で、その減少傾向は今後も続くであろうが、そこにふってわいた債務整理ビジネスと成年後見ビジネスに、平均的司法書士が飛びついた。気の毒な面もあるが、どちらの制度発展の可能性も、実は、司法書士自身の作り上げた団体、高い会費と、民主制の欠落した強制加入団体の指導の失敗が、その健全な発展の芽を潰してしまったのである。
その問題の真の原因は、団体指導部の決まり文句、会員の「倫理」欠如なる感情論などではなく、そもそも団体役員からする憲法の中核的価値である「幸福追求権と個人の尊厳」という意識、価値の軽視、無知にある。非民主的に、北朝鮮風に形式的になりあがった司法書士会役員が、そもそも個々の会員の個人としての基本権の尊厳も軽視して、公益的なしかも福祉的な業務を遂行できるはずもないし、資格もないのは明白なのである。そのことは、司法書士の成年後見の火付け役、大貫元日本司法書士連合会理事も良くご存じのはずだ。
20年前の群馬義援金訴訟で、以来、判例六法にも憲法教科書にも掲載されている被告司法書士会の体質は、未だに変わっておらず、最近では受験合格者増員の影響もあるのであろうが、とても法律家などと自称するのはおこがましいといった司法書士の現状で、品川市民後見人講座の熱心な年配の受講生たちを見ていると恥ずかしくなるばかりなのであった。