〈閑話休題 終末の夏を楽しむ 3〉
「2052 今後のグローバル予測」という本がある。著者のヨルゲンランダースさんはノルウエイの未来学者であり、今から40年前、世界の人々に警告を発したローマクラブ「成長の限界」という報告書の作成者の一人だ。写真で見るとご老人のようであるが、1945年生まれで、私より1年若いことになる。
ローマクラブの「成長の限界」の翻訳本を買って読んだ1973年頃、私は東北新社で外国テレビ番組をローカル局に売っていた。その頃、「かもめのジョナサン」という本がベストセラーになった。そこに描かれていた真っ青な海原に、一人飛び立ってゆくジョナサンがなつかしい。あの沖縄安保でにぎやかだった1970年の頃、私は「みすず書房」から出版されていたロバート・テイラーの、「人間に未来はあるか」という本を読み、それに大きな衝撃を受けた。
表紙裏には「今日、技術の成果に酔いしれた人間不在のバラ色の未来像は花盛りであるが、そのかげに・・・人間社会に重大な影響を与えずにはおかないような生物学革命の時限爆弾が・・刻々と時間を刻んでいる。(生物学革命は)多くの人々を病気から解放し、老人学や人間冷凍の技術は不治の病と死にさえ挑戦する。・・分子生物学の基盤に立った遺伝子操作の技術の進歩は、新しい人間優生学に大きな光を投げるであろう」という紹介文が書かれていた。
すでに1970年代には敗戦後文化を特徴付ける左翼民主主義の潮流は大きく引き始めていた。60年代にあれほど流行した歌声喫茶や歌声運動の記憶は今では思い出す人もいない。大量生産、大量消費、大宣伝と大マスコミの渦の中にそれらはひとたまりもなく飲み込まれて行った。そのような時代を背景に出版されたテイラーの「人間に未来はあるか」とかローマクラブの「成長の限界」が示す人類への警告には説得力があった。
一方、当時はるか海の向うでは、「文化大革命」が真っ盛りであった。岩波映画社のドキュメンタリー映画「文化大革命」を有楽町で見たが、そこに毛先生の長江で泳ぐ姿を見て、何故か私は感動したのであった。
文明と人類への警告の書の記憶も、1~2年もすれば、アルビントフラーの「未来への衝撃」とかドラッカーの「断絶の時代」とかを読みつつ、これから来る情報革命、情報化時代の到来への予感のうちに跡形もなく消えてしまうのであった。未来論がはやり、技術予測なども大いにはやったのだが、それらのやかましい議論は今に一体何を残したのだろう。
7月21日、参議院議員選挙が終わり、予想通り自民党圧勝、野党惨敗という結果となった。その結果を私は心配していない。4~5年先には想像も出来ないような歴史の大波がこの国を襲うのではないか。人間というものは目先に危険がせまらないとなかなか選択と決断が出来ないものなのだ。ヨルゲンランダース氏は、ローマクラブの警告から40年、その間、何も変わらず、2酸化炭素量だけが蓄積し続けていると言っている。しかし、まだこれから40年ほどは、1945年生まれのヨルゲンランダース氏が生きているうちは幸いにも破局には至らないだろうとも言われる。
しかしこのまま行けば、40年後には地球の気温は4度上昇する可能性がある。この閾を越えれば「気候変動の自己増幅が始まる」。こうなると世界はどうなるか。「2052」(日経BP社)がその危機の姿を描いている。そろそろ真面目に疎開を考えるべき時が来たのかもしれない。集中し過ぎた都市から、アベノミックスに余計な人間が一人でもいなくなれば、地方過疎も無くなるだろうという訳だ。