ところが、平成25年3月末の65歳以上の人口は約3083万人(総務省調査)、認知症患者全国推計約462万人(厚生労働省調査)、これに対し成年後見制度利用者数は17万6500人(最高裁統計)であるから、2000年、新成年後見制度成立から15年たっても、成年後見需要が全く満たされていないことが明らかである。このような事態を目の前にして、平成15年(2003年)頃から、民事局の上記解釈、見解は間違っているのではないかという意見が立法者の間からも聞かれるようになった。しかもこの15年間を通して、実際に誠実に、成年後見実務に携わってきた後見人、私もそのような後見人司法書士を知っているが、そのような熱心な後見人達の間に、実務をとおして、成年後見事務の中心は、実は「身上監護にある、財産管理の前にはまず命と安心の確保が重要」という当たり前と思われる意識が広がっているということである。
かって、法案起案者の一人でもあった民事局出身の弁護士は、民法858条の通説の解釈について、「法律行為と事実行為を観念的に区分する点において実務の実体と乖離する」と批判している。そして「(看護、見守り等)事実行為を後見人の職務行為に含まれるとする法解釈を確立することが不可欠である。・・・新しい成年後見制度が誕生してから14年の間、実務を支配してきた・・立法者見解は、退場の時を迎えている」(小池信行 地域後見の実現 44P 日本加除出版)と言っている。
おそらく、新成年後見制度がスタートする頃に発表された有権解釈で「適切な成年後見人を得られなくなる」と想定されていた成年後見人とは、弁護士や司法書士だったのであろう。新しい「禁治産、準禁治産制度」が出来るという話はかなり早い段階で、おそらく法制審議会で議論が出てくる平成7年以前に、渉外司法書士協会の顧問、元大貫日司連理事から渉外協の勉強会で直接聞いて私も知っていた。大貫氏に対して、国際から今度は高齢化ですか、目をつけるのが早いねと言ったことを私は覚えている。法務局としては将来の後見人の担い手として司法書士や弁護士を想定していたのだろう。
それから間もなくして、「成年後見」フィーバーが、不動産バブル崩壊、不動産登記減少後の司法書士の新ビジネスとして、司法書士業界内をかけめぐった。そのフィーバーに「猫の前に鰹節ではないか」と冷ややかに批判する少数の登記司法書士もいた。しかし、改正法成立2000年から15年、司法書士の昨今の不祥事続発を予想した者はそれほど多くはなかっただろう。
成年後見制度誕生時、司法書士の監督庁である民事局が想定しただろう専門職後見人事件は、15年後、認知症患者全国推計約462万人に対して、成年後見制度利用者数17万6500人、その内、約22%が司法書士、弁護士が約18%、社会福祉士が約10%、それ以外の6割位は親族後見人であるが、後見人制度が現在の深刻な事態に全く対応できていないのが良くわかる。
今でも司法書士の大半が、成年後見人の職務は、判断能力の欠けた人に対する財産管理だと考えている。こうした考えは、民法858条の通説、民事局の有権解釈に基づいているものだ。新成年後見制度は、当初から、新しい福祉社会的憲法の思想に基づいて、市民法(私法)と福祉法(公法)を融合して、個人の尊厳を確保しようというものだった。しかし、民事局は民法858条について「成年後見人に過重な義務を課することになり、ひいては適切な成年後見人を得られなくなるおそれがある」から「後見人の職務を法律行為とそれに関する事実行為に限定する」という解釈をすることにより、専門職後見人である司法書士等の収入に配慮をしめしたのである。以来、司法書士後見人の職務は、判断能力の欠けた人の「財産管理」となり、その15年後には、相次ぐ司法書士不祥事についての内閣府警告となったのである。