司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 「世の中の仕組みのせいで虐げられて苦しんでいる庶民の側にたって、上の抑圧者と闘って世の中を変えようと志向する人々」のことを左翼という(「新しい左翼入門」松尾 匡 講談社現代新書)そうだが、左翼のモンゴルハンが染みついて未だに消えない人たちにはそのような人達が多い。

 前著者の松尾さんは1964年生まれのエコノミストのようだ。1964年といえばオリンピックの年、その頃私は池袋の名曲喫茶「白鳥」でサルトルの弁証法的理性批判を読んでいた。当時は大月書店の発行するマルクス本を扱う公認左翼専門書店がどこにもあって結構はやっていた。一方普通の書店でもサルトル全集なども売っていて、当時は「存在と無」などという超難解な本を読んでいるふりをするのがかっこよかった。しかし今ではマルクスもサルトルも書店の棚からは消えてしまった。

 松尾氏は著書「新しい左翼入門」の冒頭で「読者のみなさんは、こんな本を手に取ったぐらいですから、『世の中を変えたい』という志をお持ちなのでしょうか。え?『世の中を変えようという人に騙されないために手に取った』?いいこころがけです」とのたまわれ、続いて「世の中を変えたい」というのも立派な志だと思います。特にNPOとかNGOとか協同組合などでご活躍中のかたには頭がさがります」と非営利社団の人々を持ち上げておいて、「『非営利』ですか、この言葉もいろんな意味がありますが、おカネもうけを目的にしないという意味でしょうか。しかし、事業を継続するためには費用をきっちり回収しないといけないし、スタッフみんなちゃんと暮らしていかないといけません」と、ここまで読んでくると我が司法書士事務所の運命が頭の中に広がって来る。

 「世の中全体にこの種の事業が広がるには、(その担い手の)努力と貢献に報いる仕組みがないと、一部の熱情家だけの世界に終わってしまいます」(「新しい左翼入門」松尾 匡4P)。

 熱情家だけが団体に残り団体員からの会費がいつの間にかその熱情家達の給料になってしまうなどということも今の日本では当たり前になってしまった。ところで司法書士や弁護士については「この貢献努力と貢献に報いる仕組み」は業務独占という形で、国の法律によって保護されている。弁護士司法書士過払いバブルが起きたのも、超過利潤を生み出すこのような仕掛けがあったからなのだ。

 司法書士も弁護士も営利を追求すべきでなく、社会的善を追求するのがその職責と使命だと美しい建前を振り回す人も少なくない。このような資格者たちにとってみれば、アデイーレ法律事務所の石丸弁護士のように、業界の金儲けのうまい人たちは、実に気に障る、感に障る存在なのである。

 「NPO法人の『非営利』というのは、おカネ儲けをしないという意味ではありません。何億という年商を公然と誇るNPO法人もあります。アメリカでは、優秀なスタッフを高級でヘッドハンテイングする例も普通に見られます」(「新しい左翼入門」松尾 匡 5P)。

 まるで日本の大法律事務所のようだ。先日ある会合で著名な長野弁護士と会う機会があり尖閣問題を少し話しあったが、その時についでに聞いたところ、長野弁護士の事務所には弁護士が200人いるという。大会社の合併や統廃合などのビジネスには、それだけの人出がかかるという。確かにこれに国際がからめば当然のことで莫大な経費もかかるだろう。

 資格をとったばかりの司法書士や弁護士が独立するに当たっていつも悩まされるのが、正義の先輩たちからの「営利を追求すべきでなく、社会的善を追求するのがその職責と使命」という半産業主義的なご託宣である。実際、営利を追求するのは企業であって、司法書士や弁護士の事務所ではないであろう。しかし企業で言う営利とは、出資に対する配当、利潤なのであって、労働に対する報酬ではない。

 非営利団体である「NPO法人はこれ(出資に対する配当、利潤)が否定されるというだけです。もうかった所得を従業者の賃金としてみんなで山分けしてもいいわけです」(「新しい左翼入門」松尾 匡 5P)。実際、「お金をもらえることはヒトの役に立ったあかし」(松尾)なので、「これをむげに否定することは、人々のニーズに合わない独りよがりを開き直ること」と松尾氏はいう。

 実際、アデイーレ事務所やバブル成金事務所の成功は、多重債務者の需要に、価格、サービス含めて支持されたからこそ可能だったのであり、このことは冷静に評価しなければならない。20世紀には、貧困と戦争の原因を、資本主義経済がもたらすものと理解して、「これを変えようと志した人たち・・・こういう思想を広い意味で「社会主義」と言います・・・の中には私利私欲を求めることこそ諸悪の根源と考えて、みんなが利己心を抑えて社会のためにつくす世の中を目指した人も多かったのです」(「新しい左翼入門」松尾 匡 7P)。

 実際、世界にも日本にもこのような善良な人たちが多かった。労働者や知識人、宗教家だけでなく、みずから稼がなくても済む税金で飯し食う身分保障の役人たちの中にさえもそのシンパは多かった。そしてこういう人達が増えてくると「人間が利益を求めることを価値の低いことのように見下してしまいます。利益を超越した理念を追うことこそ価値の高いことだと」(「新しい左翼入門」松尾 匡 7P)高揚した上に、それを押し付けるような鬱陶しい連中、グループが必ず登場して来るのである。正義という名の自己愛の起源はここにもあった。



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