司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 
 向田邦子の小説「あ・うん」を映画化した、1989年、平成元年公開の映画がある。昭和初期、1930年代後半の東京・山の手を舞台とした当時の中産階級の家族を舞台としたドラマである。 そこには日本が軍国主義化して行く中で、崩壊の兆しに不安を感じつつ生きている家族の姿が見える。

 しかし、明治、大正時代を経ての産業近代化を背景に出現した、都市中産階級らしき人々、国民も、10年後には原爆2発を食らって総ての資産を失ってしまう。登場人物達は誰一人、そのことを想像すらしていないのである。10年後に想像を絶した世界が出現した。そこに至る兆しは幾つもあったのに。

 津波地震原発という大災難に見舞われた現在の日本の国民も同じような状況に置かれているのではあるまいか。10年後に現れる日本国の姿とは、それは子供がいなくなり、疲弊した青年の姿が影のようにさまよい、一方で、よりそうように生きている老人たちの群れがあり、公共施設は荒廃し、都会の空きビルの下ではホッピーとモツ煮込み専門店、ようするにカストリ酒場がはやっているというような姿ではないのか、まるでハイパーインフレ下で闇屋、かつぎ屋、高利貸しが活躍した第二次大戦後の焼け跡のようになるのではないか。

 違うのはスマートフォンがコミュニケーションの不可欠の手段となって紙コミュニケーションはすっかり無くなっているということぐらいかもしれない。

 経済産業省の古賀茂明氏の言われるとおりに「『日本中枢』で国を支えているはずの官僚制度」が崩壊し、それに変わって勤労国民の支配する公務員組織、民主制を支える、国民のための、国民に奉仕する行政組織が作られない限り、しかも、それも2~3年内という短時間内で作られない限り、上記に近い風景が出現することは間違いないと思う。多分、バブル崩壊以来のこの国の30年を見れば、そんな改革は無理だろう。

 結局、歴史というものは巨大なうねりのようなものであり、国民国家の器量(平均的国民の質と言って良いかも知れないが)というようなものがあるのならば、その器量を超えるような事象に見舞われれば、最早、その国の構成員である人間の知恵、技、努力では、その事象によって自然科学的に規定される歴史の流れを変えることは出来ないのではないか。

 津波地震原発後のマスコミ含めたこの国の対応を見るにつけても、そのように日々考えるようになった私である。もっとも100歳まで楽しく生きるという私の目標は全く変わらないが。

 「あ・うん」という映画の描いた、昭和初期、1930年代後半の東京・山の手の世界、未だに農業、零細商工業者が主役の国民経済に、やっと登場した都市中産階級の家族とその暮らし(それは当時の日本では実際は中産階級といっても、大多数の貧しい国民から見ればブルジョアジーと言った方が相応しいのだが)、そこにはバイオリンを練習するボードレールを読むお嬢様と、特高に狙われるボーイフレンドの赤がかった帝国大学生や、神楽坂の芸者の伴奏に合わせて謡曲をうなる会社の部長をしている夜間大学出の父親、軍需景気に救われた中小企業の社長らなどが繰り広げる、それなりに安定した世界があった。今風キャバクラの女子大生アルバイトと違って、かってその世界では芸者もおめかけさんも一個の社会上の地位であったのである。

 そのような硬い秩序に守られながら国富の一部を享受していた、戦前の山の手、中野や杉並の(世田谷や小田急線沿線ではない)、保守的な人々の暮らしがそこにはあった。

 この硬い秩序、すなわち明治天皇制は、間もなく暴走をし始める。そして、その暴走は、当時の知性、教養、言論、加えれば左翼思想をすら担ってもいた都市中産階級の生活を、1940年代に、とことん破壊してしまうのである。

 この暴走と破滅を作り出した主役は一体誰であったのか。知的選良から見れば愚かとしか見えない多数国民が、暴走に至るような自滅プロジェクトを思いつき実行することなどありえない。とするならばその自滅プロジェクトを思いつき実行したのは、明治天皇政府の行政官僚、軍事官僚、司法官僚達だったということになる。

 全国の局長数しか合格しない、学歴無用で全国から選抜された高等文官(現在の官僚を自称する役人たちが赤面せざるを得ないほど、彼らは国家愛と誇りを持つ気力体力知力に充実した秀才官僚達であった)、その代表格は岸信介元総理大臣だが、この秀才官僚達でも、軍部独裁を阻止することは出来なかった。

 軍人を含めたこのような選良達による支配、多数国民の支配の及ばない政府行政の行く末は、結局破綻、破滅なのであった(世界の歴史もこのことを証明している)。この結論が、今、又、繰り返されているような気がする。

 かって国民は二発の原爆で多くの被災者を出し、その犠牲によってやっと明治憲法政府はポツダム宣言、無条件降伏を受け入れた。その66年後、原子力発電所が爆発し、政府声明にも関わらず、未だに事件(事故プラス人災だから事件と言った方が良い)収束の見通しはたっていない。紙を道具とし知能を配分原理とする大集団よりなる、民間企業含めた「日本の官僚主義」は再び大きな試練に遭遇している。



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