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 首相の突然の自民党総裁選不出馬を伝える会見で、ようやく終りが見えた岸田政権であるが、もっぱらメディアは連日、次期総裁選候補への国民の関心を駆り立てるような報道に終始しているようにみえる。しかし、低支持率から這い上がることができなかった事実が示すように、多くの国民が受け入れ難かった政権が、首相の進退だけで、次に進むことには、ある種、奇妙な違和感を覚える。

 政権の3年間、その対応、姿勢にさまざまな批判を浴びながら、常に自らが先頭に立って臨むことが、責任を果たすことといった趣旨の発言を繰り返し、辞することで責任を果たすことは、頑として拒否してきた首相が、前記会見では、「自民党が変わることを示す最も分かりやすい最初の一歩は、私が身を引くこと」と語った。

 前記経緯がなければともかく、多くの人間は彼の意思として額面通りには受け取れまい。批判されても居座り、さらに再選を最後まで諦めていなかったと伝えられている首相の姿勢を考えれば、追い詰められての断念ととるのは当然だろう。つまり、透けて見える、あるいは推察できてしまうのは、ゆくも進むもそこにあるのは、本来あっていいこの国のリーダーの自覚ではない別のもの。多くの国民がその姿勢に、ずっと感じてきた岸田首相に対する、ぼやっとした違和感の正体ではないだろうか。

 岸田政権の「負の遺産」の最たるものが、政治不信である、という意見が聞かれる(朝日新聞8月29日付け長官「論壇時評」)。旧統一教会問題と自民党裏金問題が直撃した、この政権は、「信頼回復」を再三口にしながら、それを達成できなかったことを歴史にとどめることになった。前記会見でもちろん彼も言及している。

 「課題への対応や再発防止策を講じることが、総理、総裁としての私の責任であるという思いで、国民を裏切ることのないよう、信念を持って臨んでまいりました」

 政治とカネの問題について、首相は、派閥解消、政倫審出席、パーティー券購入の公開上限引き下げなどを挙げて、「ご批判頂きましたが」と前置きしつつ、国民の方を向いて、重い決断をさせていただきました」と述べている。

 昨今、有名政治家が繰り出すおかしな論法を「〇〇構文」などと言って、揶揄する声か聞かれるが、あえていえば、こういう発言が、岸田首相の政治姿勢に、国民がぼやけたものを感じてしまう、いわば即座に別の目的、意思、事情を被せたくなってしまうところかもしれない。

 彼が列挙した「重い決断」のいずれもが、多くのメディアからも国民から不十分とされ、また、そうした対応そのものが低支持率に直結したのは明らかだ。しかも、「ご批判」は彼に届いていながら、彼は「国民を裏切ることのないように」やった「重い決断」と評価しているのである。

 分かっていながら、その批判に応えようとはせず、それでも私は国民を向いていた、という。もはやそこにあるのは、国民が無力感を覚えざるを得ないような、この国のリーダーと国民の間にある、深い溝を感じざるを得ないのである。

 「政治とカネ」の問題をめぐる予算委員会での、それこそ国民の納得がいくような対応を求めた野党の追及に対し、岸田首相はある時は「検察の捜査」の結果、ある時は「議員本人の説明責任」を盾に、その提案を拒否し、言い逃れに終始した。いわゆる裏金問題での対応には、もちろん問題があったし、そこにも国民の不満はある。

 しかし、こともあろうに、そこに逃げ込む姿を見せつけられる国民は、どうであろうか。彼の言う「責任」や「信念」や「国民を裏切ることのない」姿を読み取れというのだろうか。有り体にいえば、信頼回復というのであれば、やるに越したことはない提案を、省力化するかのように、平然とはねつけているのである。

 いうまでもないことかもしれないが、これは首相の意に反し、心ならずも国民の反発を招いてしまったかのような「不手際」ではなく、紛れもなく「確信的行為」といわなければならない。自ら姿勢に対する多数派国民の反応を熟知し、それが延々と浮上することがなかった支持率に反映していることも知っていた。彼はそれ無視したのである。無視は許されると思ったのである。

 思えば、「聞く力」「新しい資本主義」「異次元の少子化対策」という、耳障りのいい首相が打ち出したキャッチフレーズは、いずれもその中身において、国民をうなずかせ、納得させるものだっただろうか。国民の批判、不満、失望の声に耳を貸して、向き合ったのだろうか。そもそも向き合う必要性を感じたのだろうか。

 前記記者会見で記者から低支持率と不出馬の関係を問われ、本人が成果と持ち上げていることと、支持が得られなかったことについて見解を求められると、首相は支持率について「何も申し上げるつもりはありません」と即座に拒絶し、記者の質問にまともにこたえていない。岸田政権内にあっては、堂々と記者の質問への回答を拒否する閣僚の姿が国民に伝えられているが、根の自覚と姿勢は、まさに同じに見える。

 もはやこの国の政治的リーダーと国民の断絶ともいえる、深い溝には、「それでも通用する」という国民に対する大きな侮りが横たわっているようにとれる。岸田政権の終わりとともに、私たち国民は、その厳然たる事実を自覚し、「通用しない」ことを示す国民をはっきりと目指す決意を新たにすべきである。



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