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 「いつの間に後進国になったか」。こんなタイトルの囲み記事を日本経済新聞(4月9日付け朝刊、「大機小機」)が掲載した。

 開発、生産、摂取で遅れたコロナ「ワクチン」、行政の対応、5Gの競争、得意だった半導体でも後塵を拝した「デジタル」、再生可能エネルギー、電気自動車、脱炭素で遅れをとった「環境」、政治、経済の分野で著しく女性が少ないことが指摘される「ジェンダー」、日本外交の弱点となる「人権」、国内総生産の2.7倍に膨らんだ公的債務残高が示す「財政」――これらいずれの日本の現状にも、「後進国」の烙印を押した記事である。

 これが「朝日」ではなく、「日経」の記事であったことへの驚きの声がネットでは聞かれた。ただ、メディアのイメージはともかく、内容はまさに嘘も隠しもない、深刻な日本の現実である。

 一つ日経が、自身の立場から、まず落としている感があったのは、「報道」である。民主党政権下で上昇し、2010年には11位にまでなった「世界報道の自由度ランキング」の日本の評価は、2013年の第二次安倍政権下で53位まで下落。2017年の72位からやや持ち直したものの、2020年になっても66位と低迷している。

 政権に絡む問題に対して、政権の圧力や忖度が取り沙汰される状況のなかで、大手メディアとして、自ら「後進国」ではないか、という自省の姿勢があってもよかったような気はする。

 日本が「後進国」に転落した背景には、責任もとらず、構想力も欠いた日本の政治・行政の劣化があり、問われるのはカバナンスである、と記事はいう。そして、「コロナ危機下で科学的精神と人道主義に基づいて民主主義を立て直し、資本主義を鍛え直さないかぎり、先進国には戻れない」というのが、この記事の結論である。

 前記「後進国」の烙印につながった現状認識も、この背景分析はまさに正論ではあるが、結論に関しては、やや抽象的で伝わりにくい印象である。「科学的精神」「人道主義に基づく民主主義」「資本主義の鍛え直」しとは、具体的にいかなることをすべきなのか、その一番重要なところを問いたくなる記事である。

 そして、最も肝心なところは、この言葉が投げかけられている主体の問題である。政治、行政の劣化という背景と、カバナンスの問題と結び付けて読まれてしまいそうであるが、「責任もとらず、構想力も欠いた」存在を許したものは何であったのか。いうまでもなく、政治・行政の国民に対する緊張感のなさ、有り体にいえば、それでもなんとかなる、自分の身は脅かされないと彼らに思わせた国民の側が自省にしなければならない問題のはずなのである。

 「科学的精神」をおざなりにすることを許さない国民の目線、「人道主義に基づく民主主義」にこだわり抜く国民の感性、「鍛え直し」以前に「資本主義」のあり様、方向性を根本的に考える国民の意識――。これらにこそ訴え、自覚を促さなければ、いくら「後進国」を歎いてみても、どうにもならないところに日本は来ているのではないか。

 「いつの間に」という感覚は、この国の国民の感覚をそれなりに代弁しているような気がする。しかし、その本当の中身は、自己の経済的安泰だけに意識を奪われ、というよりも、そのプライオリティにこそ価値を見出した国民の、ある種の「無関心さ」、あるいはこだわりのなさが生み出したものではなかったか。

 有り体にいえば、前記さまざまな分野で「後進」する日本に、国民は全く気付いていなかったわけではなく、気付いていても「なんとかなる」、カバナンスに問題があることが分かっていた政治・行政に対しても、他に選択肢はないとか安定しているという認識の中に逃げ込むことで、実質「無関心」「思考停止」の姿勢を選択したと捉えることもできるのである。

 もとより政治・行政に責任がないわけはない。しかし、メディアにも、国民にも自省を促すものでなければ、いずれにしても、この記事が導く「後進国」脱出はおよそ望めない。



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