「安倍一強の弊害」という言葉が、ネット上に踊り、テレビコメンテータの口からもしばしば聞かれるようになってきた。「森友問題」、共謀罪、そして憲法改正。安倍政権と、それを取り巻く空気への、体感的ともいえる社会の危機感が、この言葉に現れ出しているようにはみえる。
「一強」を支えるものは、何か――。「忖度」という言葉が耳目を集めたが、官僚は勝ち馬にのるかのごとく、「一強」の続く政権を忖度すことが行動原理化する。そこには、官邸主導の幹部人事の「人質」もある、という。マスコミもまた、「自粛」という忖度に傾き、政権にとっての不都合が、そのまま国民に伝わらなくなっていく。
それに加えて、決定的なのは、国民のなかにある「安定」志向という、いわば「一強」願望である。選択肢を作らない野党がだらしない、ということが繰り返し指摘されるが、期待を裏切った民主党政権のトラウマ、期待の反動は、変わりの「受け皿」が民主党ならば、「安倍一強」という選択につながっている。
そして、それが「期待」さえ提供すれば、支持を維持できる安倍政権を支えてきた、といえる。多くの人がアベノミクスの効果を実感できなくても、決定的に支持が離れないのは、まだ期待している、いや、なにもできない政権よりも、できそうな政権に期待したい、という志向が国民のなかに確かにあるはずなのだ。そして、できるために「一強」が必要ならば、それでもいいじゃないか、と。
そのなかで、「一強の弊害」が言われ始めているのである。その「弊害」とは、この言葉は伝えるニュアンスよりも、実はもっと深刻であるといえる。つまりは、これは政権の行為は「民主主義の否定」そのものとなり、前記それを支える官僚の忖度も、国民の期待も、もはや「翼賛」といえるものであるからだ。
今月行われた朝日新聞の世論調査では、安倍首相の改憲提案を「評価しない」が47%と、「評価する」が35%を上回り、改憲時期について「こだわるべきでない」52%、「改正する必要はない」26%と、8割近い回答が、2020年施行を目指す安倍提案には否定的だった。また、共謀罪を今国会で成立させる「必要はない」が64%と、「必要」の18%を大きく上回り、内閣支持層でも「必要ない」が56%(「必要」26%)を占めた。
しかし、この世論調査でも内閣支持率は48%で、不支持率は29%を大きく上回っている。力を入れてほしい政策は、「社会保障」(29%)、「景気・雇用」が上位で、「憲法改正」は5%足らずだ。いわば効果が実感できない期待感が支える内閣支持率によって、個別の政策で多数が支持していない、優先していない政策を押し通せる力を、国民がこの政権に与えている現実が示されている。
あとは「森友問題」も「共謀罪」も「9条改正」も、国民生活には関係ないというイメージ化と、いつ飛んでくるか分からない北朝鮮のミサイルの脅威に目を向けさせることができればよし、という話である。
少数意見への配慮どころではない。国民の中の多数意見も配慮せずに、制度作れ、国民の多数が疑問に思う政権の不都合に向き合わないで通用する状況が、国民の支持のもとに作られているのだ。安倍晋三という人物の個人的な執念とまでいわれる憲法改正が、まさに個人的執念や意志だけで実現していくとすれば、まさに民主主義国家としては悪夢というしかない。それは、「森友問題」への対応や「共謀罪」成立も同様である。
これが「決められる政治」が連呼された先に登場した、また、登場を許してしまった「一強」の現実といわなければならない。
安倍首相は、ラッキーだ、という人がいる。前記したように「一強」は民主党政権の失敗を含めたいくつかの条件が重なったという見方だ。しかし、今、この政権に与えてしまっている状況が、いかに私たちとってアンラッキーなものになりつつあるのか。それを私たちがトラウマを乗り越えて、冷静にとらえなければ、この国は取り返しのつかない選択をしてしまいかねないところにきている。「一強の弊害」をいかに現実感を持ってとらえられるかを、この国の国民は今、試されているのである。