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 日本の政治家の感性は、いつからここまでおかしなものになってしまったのか――。自民党が派閥の政治資金パーティ裏金問題で明るみとなった、安倍派議員ら85人が受け取ったとされる還流資金相当額の5億円を、能登半島地震被災地に「寄付」することを検討しているとの報道に、言葉を失った(「自民、裏金相当額の寄付検討 能登半島地震被災地へ5億円」共同)。

 いうまでもなく、寄付にいくら意義があって、今回の裏金問題とは全く別問題であり、それをつなげるのは筋違いであって、むしろつなげないものである方が寄付として意味があるといってもいい。そのことに気付かないこともさることながら、なにより、これを国民がどう受け取るのか、感情をむしろ逆撫でするものになりかねないことが、分からない感性が理解できない。

 今回の裏金問題は、確定申告が迫った国民の納税感情を直撃した。「税逃れ」が罷り通ろうとしていることに対する、強烈な不公平感を国民は抱いている。相当額といわれれば、「寄付」という形にすり替えて、国民のその感情を和らげようとする下心がみえみえといわれて当然である。「税逃れ」のうえに、今度は「寄付」という名目で、責任逃れをしようというのか、という話になる。

 支援を受ける被災地側にしても、そんな責任逃れの意図をはらんだおカネで支援されることの筋違いをどうとらえるだろう。裏金「相当額」ではなく、被災の現実からの「相当額」が導かれていないことに、割り切れないものを覚えないだろうか。そもそもその意図から逆算されたものというならば、本来「寄付」と呼ぶのもためらわれる代物ではないか。

 「寄付」と銘打てば、国民が一定限度納得し、裏金問題への批判を緩めてくれる、と考えた、その浅はかさは、どう考えればいいのだろうか。繰り返される政治家の舌禍事件でもみられる、結果に対する決定的な想像力の欠如とともに、国民の反応を軽んじて誤解している傾向。例の、不祥事も選挙の投票時には忘れてくれる、といった、国民をなめきった政治家たちの態度ともつながって見える。

 もっともあくまで現段階では、「検討」となっていて、最終的にこれは撤回されるかもしれない。彼らにとっての、国民の「予想外」の不評にさらされて、案を引っ込めるかもしれない。しかし、それで万事問題なし、ということになるとも思えない。

 これほど「寄付」としての筋論も、国民感情も理解していない案が検討される形にまでなった事実を無視できない。沢山の取り巻きの自民党関係者の中で、この案の問題性を忠言する人間が一人もいなかったのだろうか、と考えてしまう。もし、そうだとすれば、それはそれでより事態の深刻さを物語る。

 ただ、やはり最後にどうしても避けて通れない疑問にぶつかってしまう。そもそもの「裏金」問題含めて、どうして彼らのような感性の政治家たちが国民の代表として選ばれて、国会に送られているのだろうか。なぜ、私たちは選んでしまっているのか――。

 一般国民が選挙に際して流される判断材料だけで、こうした個々の候補者たちの感性まで現実的に見抜けるか、という問いかけもあり得るかもしれない。しかし、私たちも与党の体質も含めて、選挙に際して、それらに本当に厳しい目を向け、裁定を下したのか。

 彼らが不誠実な姿勢のままで、「免罪」を期待するのであれば、それはあくまで私たちが彼に与えてしまった「成功体験」に基づいているということでもある。今回の驚くべき彼らの感性に基づく案から、私たちはそのことも肝に銘じておく必要があるように思えてならない。



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