司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 
 郵政不正事件での担当検事による証拠ねつ造などを受けた、検察改革の一環として、2011年に最高検が発表した基本規程「検察の理念」には、次のような文言がある。

 「あたかも常に有罪そのものを目的とし、より重い処分の実現自体を成果とみなすかのごとき姿勢となってはならない。我々が目指すのは、事案の真相に見合った、国民の良識にかなう、相応の処分、相応の科刑の実現である」

 この一文をはじめて見た時、一瞬奇妙な気持ちに襲われた。これがまとめられた経緯を考えても、それが検察の現実に対する深い反省を込め、また、それを社会的にアピールするものであることは、もちろん推察できる。しかし、それにしても、これほど当たり前のことを表明しなければならない、わが国検察の現実を、改めて突き付けられた気分になったのである。

 この時、わが国の検察は、自らの「成果」のために、無実の人間を有罪にしたり、結果として事案の真相に見合わない、処分、科刑を導き出す体質がある、あるいは導き出しかねない現実があることを社会に表明したことになる。

 まかりまちがっても無実の人を罰することになってはいけない、そのリスクはとれない、という発想に立てなければ、既にアウトである。ただ、被告人に有利な証拠と分かっていて、それをあえて隠ぺいするとすれば、挙証責任に目を奪われて「成果」を求めるあまり、ある意味、確信的に「たとえ無実の人であったとしても」という前提の選択であるといわれても抗弁のしようがないはずである。

 それはもはや落ち度に対する注意を喚起したり、気の緩みに対する反省や自覚を求めるレベルではなく、もはや「権力犯罪」といわなければならないレベルのものである。

 司法改革では、死刑再審無罪を生み出したわが国司法への率直な反省のもとに、誤判・冤罪対策を直接取り上げていない。裁判員制度によって、参加市民の監視のなかで、これまでのような刑事裁判の運用ができなくなり、誤判・冤罪がなくなる、という効果があるというニュアンスの指摘もあるが、少なくとも裁判所も検察も、過去の司法の欠陥を率直に認めたうえで、市民参加を求めたわけではない。

 市民参加によって、長期裁判ができなくなったとか、「分かりやすい」裁判に努めなければならなくなったといった、メリットが語られても、基本的な司法の捉え方は、市民の手を借りなければどうにもならない過去の司法の欠陥を認めたものではない。語られているのは、参加による司法に対する国民理解の増進であったり、ひいては犯罪抑止であったり、民主主義の担い手としての成熟といった、何やら刑事裁判の目的から離れた、ぼやけたメリットである。「改革」を口にしながら、誤判・冤罪を生み出した司法の欠陥を直視するのは、そんなに都合が悪いのだろうか、という気持ちになる。

 そして、その誤判・冤罪を生み出してきた司法の構造的な問題であり、それを防止する要であり、そして検察の確信的行動としての「犯罪性」が最も問われるべきものが検察の証拠不開示である。いち早く、主だった証拠は捜査機関が収集し、検察側が有罪立証に役立つ証拠だけを選び、手持ち証拠は開示しない。検察にとって不利な証拠を開示しない、ということそのものが、そもそも適正な裁判への姿勢といえない。

 前記「検察の理念」でも、「無実の者を罰し、あるいは、真犯人を逃して処罰を免れさせることにならないよう、知力を尽くして、事案の真相解明に取り組む」とは書かれているが、直接、被告人に有利な証拠も含めて全面的に開示すべきという方向の表現はない。「無実の者を罰し」ないために、このことが重要である、という認識には至っていないとみなければならない。

 そんな検察に対し、厳しい判決が出された。「布川事件」で再審無罪となった男性の損害賠償請求訴訟で、東京地裁は5月27日、検察の証拠開示義務に言及し、開示請求に応じなかった検察の行為を違法とする判断を下したのである。判決は、検察官は手持ち証拠のうち、裁判の結果に影響を及ぼすことが明白なものは、被告人に有利不利を問わず、法廷に出す義務があるとして、本件でも開示に応じていれば、二審判決の段階で無罪判決が出された可能性が高いことを指摘している。

 2004年の公判前整理手続の導入により、一定の証拠開示が制度化され、開示範囲は拡大された。しかし、弁護士界には不十分という声が強く、再審段階での制度の不備を指摘する意見もある。また、現在の弁護人側と検察側のやりとりとなる、現行の証拠開示手続そのものが、審理長期化の原因となっている、という見方もある。検察の根本的な発想が変わったのかは甚だ疑わしい。

 「10人の真犯人を逃すとも、1人の無辜を罰するなかれ」という有名な格言があるが、これまでの日本の実態は「たとえ無辜を罰することになろうとも、誰かを罰すべし」ではないか、と言った人がいる。立証責任を負った検察側が集めた証拠は、すべて反対当事者の主張材料にもされるべき、という基本に、なぜ、その欠如が過去に大きな過ちにつながった司法が立てないのかーー。まず、そのことが、根本的に問われるべきである。



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