司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

  

 この国には、憲法の「価値」にこだわる人間と、こだわらない人間がいるようだ。もう少し正確に言うと、その重みを、なによりも優先されなければならないとする考え方と、そこまでとはとらえない考え方といえるかもしれない。

 

 もちろん、これはいわゆる護憲・改憲という立場を超えた違いだ。こだわらない人間のなかには、こと日本国憲法は米国に「押しつけられた」という位置付けをもってして、日本人として「こだわるべき内容ではない」という前提の方もいる。しかし、本当の意味での改憲論者は、前者の立場でなければ矛盾する。憲法の「価値」にこだわればこそ、改憲の必要性を説き、その正統性を担保するためにこそ、きちっとした手続きと、国民的な議論を経た合意にもこだわって当然だからだ。

 

 後者の立場から繰り出される「解釈改憲」は、この憲法を護ろうとする立場にとっては、そもそもその方向性において問題だが、その正統性にこだわる改憲論者からも、邪道ということになる。つまり、「違憲」である以上、悪魔手憲法を変えない以上、どうにもならないという根本的な認識の問題なのである。

 

 衆院憲法審査会での参考人の憲法学者3人全員が「違憲」と断じて以来、もはや破綻していると言いたくなる政権・与党から聞こえてくる言い分に、まず、私たちが目を向けなければならないのは、そのことだ。

 

 この「違憲」発言以前から、野党議員のなかからは「そもそも憲法違反」という声が集会などでも聞かれた。集団的自衛権をめぐり、度々政権側から提示されていた行使にかかわる「具体例」。それこそこうした事態が具体的に想定できるのかについても、議論があるところだが、その行使そのものが、従来の政府見解である、憲法9条の下で許容される必要最小限の自衛の措置の範囲を超える以上違憲は明白であり、昨年7月1日の閣議決定でアウト。本来は、その余を議論するまでもない、というとらえ方もあった。

 

 そのいわば「前提」を超えて繰り出される「具体例」は、政権側からすれば、その分かりやい必要性アピールで、法制化へ駒を推し進めようとする試みである。しかし、そこに出された憲法学者全員の「違憲」見解は、政権側のその動きに対して、もう一度、社会の目と議論を「合違憲」という「前提」の話に押し戻すものになったといえる。

 

 しかし、そうなって、なんとか成立させようとする側から出された政権・与党側の主張は、穴だらけのボロボロだ。「全く違憲でないという著名憲法学者も沢山いる」と弁明したかと思えば、それが3人となると「数ではない」と抗弁したり(菅義偉官房長官)。集団的自衛権行使を一言も認めたわけではない50年前の砂川事件最高裁判決を持ち出し、政府自らこの判決後に同権行使否認の解釈を固めながら、この判決を容認の根拠としたり(政府見解)。

 

 学者の「違憲」見解の影響が大きいと分かると、自衛に必要な措置を考え抜く責務があり、それを行うのは「憲法学者じゃなくて政治家」(自民・高村正彦氏)という、露骨な学者軽視発言があったかと思えば、「憲法栄えて国が滅ぶの愚を犯してはならない」(自民・平沢勝栄氏)といった憲法そのものの軽視発言まで飛び出す。「現在の憲法をいかに法案に適用させればいいか」(中谷元・防衛相)という真逆発言の撤回劇も話題を提供することになった。

 

 なぜ、改憲という手続きを飛び越え、議論を急ごうとするのか。その説明は概ね、これから改憲論議・手続きでは時間がかかるということを挙げた事態の緊急性をいうものだ。アメリカの軍事戦略への協力という現実味を後方に押しやりながら、お決まりの中国、北朝鮮の脅威が言われてきた。ただ、それがこの法案を憲法改正を待たずに成立させておかねばならない、明日にでも起こる事態を果たして国民に想定させているのも疑問である。

 

 そこには、根拠というよりは、国民感情を甘く見積もった、侮りともいえるような中国・北朝鮮脅威の「利用」があるようにみえる。そして、それは同時に、それで論議と手続きを飛び越え得る、それでも通用すると考える彼らの中にある、憲法そのものに対する侮りをみる思いがする。それでは、まるで政治主導が、憲法を越え、脅威の前に国民を黙らせることができる社会だ。

 

 憲法前文には、こういう下りがある。

 

 「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」

 

 武力行使を永久放棄し、交戦権を否定した9条を持っているわれわれ国民は、「積極的平和主義」という名前の軍事利用や、「後方支援」という兵站確保の戦争協力をしなくとも、この立場を貫くことで、私たちのやり方で、世界から尊敬され、「名誉ある地位」を占める道があったはすだ。この法案の成立は、放棄したはずのわが国の国民自身が戦地へ赴き、武力行使を余儀なくされるとともに、いよいよ私たちの前記道へ進む可能性が決定的に奪われることを意味する。しかも、その道も、民主的な手続きのもとに、改憲によって実現したのではなく、一政権の思い入れだけで選ばれるということになる。わが国の民主主義もまた、決定的に傷つく。

 

 私たちがいま、何を失おうとしているのか。彼らの穴だらけの主張から、その脅威の方を共有したい。



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