「改革」推進論のなかで、「一発勝負」「一発試験」と批判的にいわれてきた司法試験と司法研修所教育による、かつての法曹養成、いわゆる旧司法試験体制と、「改革」が生み出した法科大学院を中核とする新法曹養成。「点からプロセス」「『実務と理論の架橋』を目指す教育へ」など、その違いは、当然「改革」のメリットとして、様々な表現で言われてきた。
しかし、この法曹養成「改革」の前後の大きな違いでありながら、一つ見落としがちなものがある。それは、中核を法科大学院と位置付ける新法曹養成は、すなわちその中核を大学運営の影響下に委ねたということである。有り体にいえば、運営主体の大学の経済・経営事情が反映するものになったということである。
当然のことであり、織り込み済みという人もいるだろうし、1990年代の「改革」論議を振り返れば、法曹人口の大量増員を迫られ、「質・量ともに」満たす法曹の輩出には物理的にも、もはや大学の力を借りるしかない、という認識が広がったことからすれば、それを踏まえた「覚悟」のうえでの制度構築ということを強調する人もいるかもしれない。
ただ、現実的には、そうした「改革」ムードのなかで、この道が選択されたということもあってか、前記したような法曹養成を大学運営に委ねることの妥当性が、突っ込んで議論された観がない。具体的に制度構築を決定付けることにどのくらいの影響力を持ったかは別にして、弁護士会のなかにはむしろ大学の影響下に法曹養成が置かれることを歓迎する論調もあった。最高裁の強い影響力のもとにある、司法研修所教育から、大学の影響下に法曹養成が移ることで、弁護士(会)が新たに影響力を持ち得るようになるのではないか、という期待感が存在していたのである(「『法科大学院』を目指した弁護士たち」)。
なぜ、今、改めてこの点について書いているかといえば、法科大学院制度発足以来の、新法曹養成の「改革」の誤算とドタバタ劇は、このことを、まず、踏まえてとらえるべきではないかと考えるからである。「町おこし」ならぬ「大学おこし」として、この指とまれのごとく、法科大学院制度参入に名乗りを上げた74校の乱立と、結果としての半数の撤退。志望者減少に直面すると、修了を司法試験受験要件にして強制誘導してきたにもかかわらず、合格者減が深刻化すると、途端に時短化による負担軽減策で回復を狙う――。
司法試験前に、受験に関係ない法曹のための教育を施すという建て前の無理を抱えながら、さりとて司法試験を無用とするほどの、選抜機能をもった法科大学院入試を指向するつもりはない。さらに、受験要件化を放棄し、教育「価値」で「一発試験」と勝負すべき、とか、最近とみに言われ出している、試験前ではなく、リカレント教育での役割を担うのはどうか、という話に制度関係者の反応がいまひとつ悪いのにも、それでは学生が選択してくれないという自信のなさと、それでは経済的妙味がない、という、彼らの本音が透けている。
しかも、本道の「価値」を見切り、それこそ経済的な妥当性から志望者が選択している予備試験を、法科大学院制度擁護派側は、つとに何とか制限できないかと考えている。志望者減の原因には、「改革」の増員政策の失敗による弁護士の経済的価値の下落という現実が横たわっているが、それでも辛うじて法曹界に志望者をつないでいる予備試験を制限するという行為は、法曹界の人材確保のためになるものといえないのは明らかだ。もちろん、それを強行するのに見合う本道の「価値」が、これまでのところ実証的に示されたということでも、それを社会が認めたという状況にもない。
つまり、これは何を意味しているかといえば、制度の「理念」はわが国法曹養成にとって正しいと連呼しつつ、実は「改革」が選択し、選択しようとするものは、あるべき法曹養成からではなく、徹頭徹尾、大学が運営する制度の存続から逆算したものを選択しようとしてきた、ということなのである。
いま、資格取得までの時短化政策によって、予備試験からなんとか学生を取り戻す、という思惑をはらんだ法曹養成見直しの政府法案と、受験要件化と予備試験を廃止して、事実上、旧司法試験体制に戻す野党法案が提出されるに至っている(「法曹養成見直し2法案審議が映し出したもの」 法科大学院制度廃止法案の登場」)。法曹養成を大学運営に委ねたツケは、結局、志望者減という法曹界にとってもっとも深刻な事態になってもなお、「改革」が作った制度の生き残りのために、あるべき形への舵を切れなくさせている、という法曹養成の現実として、ますますあからさまで、グロテスクな姿を現しつつある。