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 やはり菅首相は、安倍政権の手法をなぞろうとしている――。政権発足早々に浮上した日本学術会議の新会員任命見送り問題は、どうしもそんな気にさせる。

 慣例を破って人事に介入する点は、いうまでなく東京高検検事長の定年延長問題を想起させるし、説明責任を果たそうとしないのは、森友・加計問題以来散々見てきたこと。さらにいえば、今回の任命見送りが問題化すると、同会議の在り方の問題にすり替えるあたりは、「桜を見る会」問題への対応を思い出させる。

 これらの前例は、いまだ問題として全く決着していないが、この手法をなぞっているようにみえる菅首相の頭のなかでは、おそらく決着したことになっていて、それだけになによりも、この手法は依然、この国で堂々と通用すると考えているのではないか、と思わずにはいられない。

 「任命権」との関係で、仮に今回の対応についての評価が分かれるにしても、少なくとも任命しなかった理由を説明すれば済むことではないか、という声は強い。見送られた学者が、安全保障関連、特定秘密法、共謀罪で、共通して政権の方針に反対したという「前歴」があるのならば、なおさらのこと、説明をしなければ、それが理由であることを疑わせる。そのまま、それが図星なのだろうと。違うのであれば、普通に考えて説明をしなければ、より疑惑は深まってしまう。

 「人事の問題だから」という理由付けで説明を回避するよりも、本来、説明はよりメリットがあるはずであり、そうでないということが彼らにとって不都合な事実の隠ぺいを印象付けてしまうのである。

 ただ、逆に言えば、それを超えて、前記手法が「堂々と通用する」と見ているととれるのが、現政権が前政権から継承した発想のように思えてならないのである。

 10月13日付け、朝日新聞朝刊オピニオン面「耕論」は、この問題で3人の論者に語らせているが、そのタイトルは「学術会議 介入の意図」となっている。あえて「介入の意図」とすれば、それは当然、政府側が繰り返す「総合的、俯瞰的」という観点には、説明できる、少なくとも学術会議の本来の役割に沿った何らかの具体的中身はなく、別の「意図」の存在を前提にしているようにとれる。

 高支持率でスタートしたばかりの菅政権が、なぜ、早々に政権運営に水を差すような対応に打って出たのか――。あえて「確信犯」として、わざわざ争点になることも辞さずに政権が打って出た、とすれば、どう考えればいいのか。前記「朝日」企画記事の論者の一人、ノンフィクション作家の森功氏が、二つの思惑を明確に指摘している。

 一つは、「政権のスローガンぴったりの実績づくりに使えそうだ、という打算」。要は「前例踏襲」「既得権益」打破のイメージ戦略として、国民にアピールできると考えたという見方。そして、もう一つは「国民の政治感覚を甘く見ている」。森友・加計問題も安保法制も、一時的に世論の批判があってもすべて収めてきたという驕りが首相にはある、と。まさに前記したような「決着させた」「通用した」という、安倍政権の「成功体験」(そう信じている)が菅首相の中にある、ということである。

 しかし、こう見れば、改めて明らかなのは、前政権の問題を継承しているのが、われわれ国民であるということだ。新政権に「決着」と「通用」の発想を許すのも、許さないのも、あくまで新政権へのわれわれの目線次第ということである。当然、前政権が抱えた案件への不透明な対応の問題を、「未決着」の問題として、菅政権に「継承」させる。逆に、そうしなければ、今回のような対応は、この政権からこれからも「堂々と」繰り出されて来るはずだ。

 善意解釈をせず、悪しき「前例」を決して通用すると思わせない、政権に対する国民との緊張関係が、いま、私たちには必要なのである。



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