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 「終戦の日」の靖国神社への参拝中止が報じられた稲田朋美防衛相が、過去に語っていた同神社に対する認識が一部ネットメディア(8月16日付け、リテラ)で報じられている。

 

 「九条改正が実現すれば、自衛戦争で亡くなる方が出てくる可能性があります。そうなったときに、国のために命を捧げた人を、国家として敬意と感謝を持って慰霊しなければ、いったい誰が命をかけてまで国を守るのかということですね」

 「靖国神社というのは不戦の誓いをするところではなくて、『祖国に何かあれば後に続きます』と誓うところでないといけないんです」(赤池誠章衆院議員らとの座談会、「WiLL」06年9月号/ワック)

 「首相が靖国に参拝することの意味は『不戦の誓い』だけで終わってはなりません。『他国の侵略には屈しない』『祖国が危機に直面すれば、国難に殉じた人々の後に続く』という意思の表明であり、日本が本当の意味での『国家』であることの表明でなければならないのです」(渡部昇一、八木秀次との共著『日本を弑する人々』PHP研究所)

 

 同メディアも指摘する通り、この発言のなかにみられる彼女の認識の恐ろしさは、過去ではなく、これからの日本にとっての同神社の位置付けをはっきりと提示したところにある。単なる過去の戦没者への慰霊をするところでもなければ、まして不戦の誓いだけをするところでもない。これから日本が行う戦争に向けて必要になる、というはっきりとした認識が示されているのだ。

 

 既に報じられている講演会での「国民の一人ひとり、みなさん方一人ひとりが、自分の国は自分で守る。そして自分の国を守るためには、血を流す覚悟をしなければならないのです」という彼女の発言を併せ読めば、彼女がどういう日本の未来を思い描いているのかは、よりはっきりしている。

 

 靖国神社については、もちろん、国民のなかにさまざまな受けとめ方があるだろう。ただ、その性格の最大の問題とされてきたのが、先の大戦で戦争遂行機関として機能した歴史的位置付けである。彼女の認識は、その役割をこの国の現代と未来において否定するどころか、それをはっきりと復活させようとしているとしかみえない。「不戦の誓い」だけでは済ませないというところに、その意思ははっきり読み取れる。
 

 もっとも、一貫して彼女が同神社の役割をそうみてきたのであれば、先の大戦の結果を挟んでも、「復活」という言葉は彼女からすれば正しくなく、この国そのものが「戦争」と国家のために殉じる「死」というものに対し、戦前のように「復活」するという捉え方なのかもしれない。

 

 日本の国会議員のなかには、彼女も所属する「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」などという、超党派の議員連盟もあり、その歴史的な問題性よりもその存在を尊重している人々はいる。すべての人々が彼女と同一の認識とは思えないが、「不戦の誓い」や「慰霊」以上の思いを抱いている人間が、その中にどのくらいいるのか、ということも想像したくなってくる。コメントを求められて帰ってくる「不戦の誓い」「慰霊」といった目的の裏に、どういう発想を秘めているのか。

 

 ただ、むしろもっと恐いのは、私たち社会の受けとめ方といわなければならないかもしれない。こうした発想の人間が防衛相という役職についていることに、社会はどのくらいの危機意識をもって受けとめているだろうか。大手新聞やテレビでの、稲田防衛省の過去の発言についての扱いはおとなしく、また、抑制的で、十分に大衆の問題意識を喚起するものにはなっていない。

 

 9条改正を前提に、「国難に殉じた人々の後に続く」ということまで言う人物が、いまや防衛相になり、現役首相の「有力後継者」のようにいれわるところまで、日本が来ていることに、わが国の国民はどこまで危機感を共有しているだろうか。20年前、30年前のわが国であれば、この事態を社会はどう受け止めたのか、そして、政権は堂々とこういう人物を据えることができたのだろうか――。そのことを考えてしまう。

 

 「終戦の前に生まれた世代は人口の2割を切った。戦友会など次々に活動を終えている。日本人が71年間、厳粛な気持ちで過去と向き合ってこられたのも、あの過酷な時代をくぐり抜けた人びとが身近にいたからだ。その存在があればこそ、戦争は遠い史実ではなく、共通の体験として、『戦後』という言葉で間近に意識されてきた。戦争の『記憶』や『記録』は新たな時代へ、きちんと残されているだろうか。国内外の惨禍を二度と起こさないための教訓を受け継ぐ基盤があるか。いま点検しておく必要があるだろう」

 

 71回目の「終戦の日」の朝日新聞社説は、もちろん稲田発言問題に言及することなく、淡々とこう述べている。靖国神社という存在に「不戦の誓い」では収まらない、戦時体制への役割を思い描いている稲田氏には、あるいはこの中に登場する戦争体験も教訓も、朝日の結論とは違う意味でとらえられ、別の点検の必要性が持ち出されることになるのかもしれない。

 

 ただ、一方で既に安保関連法制も許してしまったこの国で、それを私たちが平然と受け入れているのであれば、それはやはり戦争体験者が消えたわが国社会の「戦争」へのハードルが、確実に下がっているととらえるべきではないか。彼女の存在を通して、そのことに私たちはまず、気付かなければならない。

 

 「参拝中止の裏で…稲田朋美防衛相が語っていた靖国神社の恐怖の目的!『9条改正後、国民が命捧げるために必要』」(リテラ) 
 「日本の戦後71年 記憶を新時代へ渡す責任」(朝日新聞社説) 

 



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