〈命は日本人だけが大事なのではない〉
「自分の命が一番大事だ」、「幸せな人生を送りたい」という思いは、日本人だけの思いでないことは疑いの余地がありません。人間なら誰だってそう思うのが当たり前です。肌の色や目の色が違っても同じです。使う言葉は違っていても同じです。人間であれば、誰だって同じなのです。
ですから、例え敵国人であろうと、人の命を奪い、基本的人権を侵害する戦争が許されるはずはありません。
「この世で、人の命が一番大事だ」という考え方は、普遍的なものです。時代や地域などに関係なく、いつでも、どこでも、当てはまるのです。
お釈迦様は、約2500年前のインドに生まれ、生まれてすぐに「天上天下唯我独尊」と言い、誰だってこの世では「自分が一番大事だ」、「自分の命が一番大事だ」という当たり前のことを教えました。
第二次世界大戦後、日本国憲法の下で、昭和23年(1948年)3月12日に最高裁判所は、「一人の生命は、全地球より重い」と言いました。時代を超え、地域を超え、「人の命が一番大事だ」ということを明言しているのです。この場合の「人」は、日本人に限っていません。世界の全ての人間です。
日本国憲法は、その前文において「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と述べています。
日本国憲法は、日本国民のことだけを考えているものではなく、「全世界の国民」、つまり、全人類のことを考えているのです。「命の大事さ」は日本国民に限ったことではなく、全世界の国民、つまり全人類一人一人にとって同じですから、日本国憲法前文のように、「全世界の国民が、ひとしく」となるのが正しいのです。ここに、日本国憲法の真の価値があります。
「領土を守る」とか、「国民を守る」というレベルに止まらず、「地球を守る」とか、「人類を守る」というレベルでなければならないのです。それが、日本国憲法の心です。
そして、そのような考えの必要性は、時代が進むに連れて増しています。グローバル化が進み、交通網が全世界に張り巡らされ、通信技術が飛躍的に進歩し、どこにいても、ほとんど同時に地球上の情報を入手できるようになっています。
多くの国に原発ができ、どこかで原発事故が発生すれば、他の国にも影響を与えかねません。日本には13道県の17ヵ所に50基の原発があるそうです。その他に、廃炉にしようとしている福島第一原発の4基などがあります。
平成23年(2011年)3月11日の東日本大震災によって事故が発生した福島第一原発の4基の廃炉作業すら覚束ない姿を見ていますと、日本にある他の原発、世界中にある原発のことを考えると、ゾーッとしてしまいます。
さらに、地球上には1万発を超える核弾頭があるようです。原爆や水爆がいくらあるか、その威力がどのくらいなのか、正確なことは分かりませんが、大変なものであることは間違いありません。第三次世界大戦になったら、どうなってしまうのでしょうか。
今や、どこかで原発事故が起きれば、ましてや核兵器が使われれば、生命の危機は一国に止まるものでないことは明らかです。人類滅亡、地球壊滅の危険さえ、現実の問題となっているのです。
〈戦争放棄は全人類のため〉
「戦争放棄」の規定は、日本国憲法の心だけに止まらず、世界の憲法の心でなければならないのです。命を奪われたり、基本的人権が侵害されたりすることは、全ての人間にとって許すことはできないことです。国や人種の違いで差はないのです。
前記の通り、日本国憲法は前文で、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と述べています。日本国憲法は、日本国民のことだけを考えているのではなく、全世界の国民のことを考えているのです。
それは、命の大事さや基本的人権の保障が必要なのは、日本人に限ったことではなく、世界中の人々、つまり全人類にとって必要不可欠なことだという考えに基づいていることに疑いの余地はありません。残酷なシーンに目を覆いたくなるのは、その被害者が日本人である場合に限られてはいません。外国人だって同じです。それが本来の人間の姿です。
日本国憲法の心は、世界中の人々、つまり全人類のための心なのです。「戦争放棄」の規定は、日本人のためだけに創られたものではなく、全人類のことを考えた結果、創られたものなのです。
マッカーサー元帥は「私は戦争放棄の日本の提案を、世界全国民の慎重なる考察のために提供するものである。これは途を、ただ一つの途を指し示すものである」と言っています。
日本国憲法の戦争放棄の規定は、全世界の人々、つまり全人類へ向けて創られたものなのです。今、この世界に向かって、全人類に向かって提案した「戦争放棄」の規定を廃棄してしまったら、「国際社会において、名誉ある地位を占めたい」と宣言している日本国憲法に反してしまいます。日本国憲法が指し示した方向に逆行してしまうのです。
この日本国憲法の提案を撤回しなければならないような理由はないのです。昨今の世界情勢を見れば、今こそ日本のこの提案を、世界に向けて声を大にして叫ぶべきです。
日本は、日本国憲法が宣言したように、世界に向かって「完全戦争放棄」の規定を広めなければならないのです。政府も国民も一体となって、その普及活動に全力を尽くさなければならないのです。それが、日本国憲法の心です。
日本国憲法は、独り日本のことだけ考えているわけではないのです。世界に向けているのです。世界が平和でなければ、日本の平和もないのです。
子孫のため、世界中が平和でなければならないのです。これから時代が進むほど、日本だけ平和でも、子孫は守れないのです。それはどこの国でも言えることです。一国だけの平和を考える時代ではなくなっているのです。世界の平和、人類の平和を考えなければならないのです。日本国憲法は、そのことを見通し、前文で「全世界の国民が、平和のうちに生存する権利を有する」と宣言したのです。
輸送手段が発達し、通信技術が進歩し、地球が小さくなったとさえ思える昨今、一国だけのことを考えていれば済む時代ではなくなりました。全世界の国民のことを考えなければならないのです。
これから、各分野にわたって飛躍的に技術が進歩することは間違いありません。世界全体の平和を考えなければならない必要性は、ますます強くなるはずです。「日本国憲法の心は世界憲法の心」にならなければならないのです。
(拙著「新・憲法の心 第3巻 戦争の放棄(その3)」から一部抜粋)
「田舎弁護士の大衆法律学 岩手県奥州市の2つの住民訴訟」(株式会社エムジェエム)本体2000円+税 発売中!
お問い合わせは 株式会社エムジェエム出版部(TEL0191-23-8960 FAX0191-23-8950)まで。
◇千田實弁護士の本
※ご注文は下記リンクのFAX購買申込書から。