司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 

 〈前段と後段に一貫性がない判断〉

 

 奥州市の二つの住民訴訟の盛岡地方裁判所の二つ目の判決である、胆沢統合中学校用地住民訴訟の判決に対し、原告ら及び支援者ら住民は、口々に「納得できない」と声を荒げました。当然です。その理由を述べます。

 

 結論を先に言えば、この判決は、問題を「市有地に埋設されていた建設廃材の処理料を市が支払ったことは違法か」という一点に絞って審理し、そこに至った経過を全て切り捨ててしまったための誤審です。「納得できない」という住民の声は当然であり、的を射たものです。

 

 この判決は、患部に対する治療の適否だけを見て、その患部がそれまでの医師の不適切な診断・治療によるものであることを知りながら、それらの経過を切り捨ててしまったため、辻褄の合わない、一貫性のない、一般通常人の感覚や世間の常識が納得できない結論となったのです。法律理論ばかりに気を遣い、大事な部分を捨ててしまったのです。患部だけにこだわり、患者を殺してしまったようなものです。

 

 医療の本質は、患者の生命を救うことにあります。民亊裁判の本質は、世間が納得する審判をすることにあります。そこを忘れたこの判決は、誤審判たと思います。

 

 私は、平成29年4月21日午後1時30分に言い渡された盛岡地方裁判所での判決言い渡しには立ち会いませんでした。夜になって判決文に目を通し、翌朝所感を書面にまとめ、午後2時30分からの原告住民とサポーターの住民の皆様の集会に出席しました。

 

 住民の皆様の意見は、「『漫然と廃棄物埋設のリスクがないものと確信し、本件覚書の作成に応じた市やその担当者の対応は、結果的に本件廃棄物の処理等のため、市に本件公金支出を余儀なくさせたものである』と裁判所自身が認定しておきながら、どうして『そのことが本件公金支出(本件廃棄物処理料の支出)の違法性を直接基礎付けるものでも、本件公金支出に承継されるといった性質のものであるともいえない』という判決になるのか、さっぱり分からない」、というものでした。

 

 前段部分と後段部分が、一貫していないというのです。その通りです。世間の常識、一般通常人の感覚なら、そう考えるのが普通です。この判決は、一般通常人や世間を納得させる内容ではないのです。判決というものは、自然科学のように実験で正解の裏付けを得られないものではありますが、この判決は民事裁判の本質という視点で見れば、誤審だと私は確信します。

 

 この判決における裁判官の考え方は、一般通常人や世間の常識から乖離しているのです。「乖離」とは、「結びつくべきものが、たがいにそむきはなれること」(角川必携国語辞典)です。この判決は、一般通常人の感覚や世間の常識とは結びつかずに、そむきはなれているのです。

 

 「漫然と廃棄物埋設のリスクがないものと軽信し、本件覚書の作成に応じた市やその担当者の対応は、結果的に本件廃棄物の処理等のため、市に本件公金支出を余儀なくさせたものである」と認定したら、「その支出は違法な支出だ」と認定するのが、一般通常人の感覚であり、世間一般の常識です。そのような認定こそ、前段と後段とが一貫性をもって流れます。

 

 しかるにこの判決は、そのような流れを法律理論で遮断してしまったのです。胆沢統合中学校用地確保という目的によって結合された連続する不可分一体の行為の流れを遮って断ち切ってしまったのです。常識に反した誤審です。法律理論のため、常識を捨ててしまったのです。民亊裁判は学問ではないのです。世間のもめごとを裁くのです。常識を捨てては、成り立たないものと確信します。

 

 さらに、この判決は、法律理論としても問題があります。それについては、後述します。

 

 

 〈原告ら住民の当然の怒り〉

 

 私の持ち時間は、1時間30分でした。一通り所感を述べた後、質疑応答の時間をとりました。最後にマイクを持った初老の男性は、「私は、しつこい男を自認している。それを分かったうえで、もう一度言うが、どうして『漫然と廃棄物埋設のリスクがないものと軽信し、本件覚書の作成に応じた市やその担当者の対応は、結果的に本件廃棄物処理等のため、市に本件公金支出を余儀なくさせたものである』と言っていながら、『そのことが本件公金支出(本件廃棄物処理料の支出)の違法性を直接基礎づけるものでも、本件公金支出に承継されるといった性質のものであるともいえない』という判決になるのか、どうしても理解できない。何とかならないのか」と、怒りを抑えきれない様子でした。

 

 そのお気持ちは、痛いほど分かります。それが常識的には、まさに的を射た物の見方だと思います。この方の素直な印象を大事にしなければならないのです。屁理屈より健全な感覚を大事にしなければならないのです。

 

 この判決に対する私の思いは、この方の言葉に尽きます。判決は前段部分に限って言えば、正しい判断です。しかし、後段部分は誤っています。前段部分と後段部分は整合しないのです。間違った法律理論で無理に遮断してしまったのです。遮断できないものを遮断してしまったのです。控訴して、見直してもらうべきだと思います。

 

 この判決は、「市所有地に埋設されている建設廃材の処理料を市が支払ったことだけを取り上げ、それが違法かどうかだけを審理するもので、そこに至った経緯については、審判の対象ではない」という考え方です。これでは、「木を見て森を見ず」「患部を見て患者を見ず」です。とても納得できるものではありません。法律理論としても、一連の行為であり、一体として評価しなければならない財政行為を無理に遮断して、ワンポイントだけを審理するという間違いをなしています。

 

 しかし、「控訴したら、勝てる」などと、安請け負いはできません。「地方裁判所の裁判官も、高等裁判所の裁判官も、裁判官であることは変わらない。控訴したら、判決が変わるとは言い切れない。ただ、高裁は、地裁より裁判官としての経験の長い人が多いので、その点は期待を持てる」と話すのが精一杯でした。控訴すべきと思いながらも、控訴棄却の可能性も否定できないだけに、「控訴すべきだ」とは、言いにくかったのです。

 

 ですが、私の本心は、「控訴すべき」という思いで一杯です。このような判決に納得したように思われてはたまりません。この判決に納得できない原告の方には、原告ら住民は納得していないということを態度で示してほしいのです。
 
 

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