〈欲望とコントロール〉
「煩悩」とは、「心身をなやますいっさいの欲望」と角川必携国語辞典は述べています。「ねたみ・いかり・執着など」と続けています。煩悩という言葉からは、「煩悩になやまされる」などと、ネガティブなニュアンスが伝わってきます。
「欲望」とは、「不足を感じて、これを満足させようと望む心」と同辞典は説明しています。「欲望を満たす」というように使われます。これですと、必ずしもネガティブなものに限らず、「やりたい」とか「やってみよう」というポジティブなものも含まれるような気がします。
仏教では、「人間は煩悩の塊であり、この煩悩をいかにコントロールすべきか」ということが大事な教えの一つとなっているようです。煩悩には否定的というか「ない方がよい」というニュアンスがあるからでしょうか。仏教は、「少欲知足」、すなわち「欲を少なくして、足ることを知ることが大事だ」と教えているようです。
ですが、煩悩を欲望と捉え、その欲望を「不足を感じて、これを満足させようと望む心」と捉えれば、煩悩は必ずしもネガティブな面だけではなく、ポジティブな面も出できます。「煩悩を否定的にだけ捉えず、時に肯定的に捉えて、煩悩を楽しむこともできるのではないか」などという考えが湧いてきます。
欲望は断ち切ることはできなくても、コントロールすることはできます。「欲望をコントロールして人生を楽しみ尽くす」ということはできると信じています。欲望は断ち切れませんが、捨てることができる欲望もあります。捨てた方がよい欲望は捨てればいいのです。これならやれそうです。
長い間、欲望、欲に振り回されて生きてきた身としては、「欲望や欲はコントロールしなければならない局面があり、且つ欲望のコントロールは、ある程度はできる」という体験をしました。その体験を通じて思うことが沢山あります。体験を通じて知った欲の実体、即ち、欲の本当の姿を掘り下げ、捨てるべき欲は捨て、活かすべき欲は活かし、欲望と上手に付き合い、「人生を楽しむコツ」を探し求めたいのです。
それが私の哲学の探究です。それを極めれば、戦争を防止する方法の2つ目の柱である人間の心のあり方の調整に役立つのではないか、という気がするのです。
〈別のはけ口という戦争回避の発想が通じない核の時代〉
フロイトは、「人間の心にとてつもなく強い破壊欲動があり、この破壊欲動はどのような生物の中にも働いている。人間も生物である以上、仕方がないという言い訳を与えてしまう」と指摘しています。
他方、フロイトは、「人間の攻撃性を完全に取り除くことが問題なのではない。人間の攻撃性を戦争という形で発揮させなければよいのだ。戦争とは別のはけ口を見つければよいのである」と述べています。
スポーツは「戦争とは別のはけ口」の代表と言えそうです。古代ギリシャのオリンピックには、そのような狙いがあったという話を聞いた気がします。古代よりオリンピックの競技の中には、槍投げなど戦闘行為と思えるものも少なくありません。近代オリンピックにおいても、同じような競技は沢山あります。古代なら、スポーツは戦争のはけ口になったのではないでしょうか。
しかし、鉄砲、大砲、ダイナマイト、核兵器と強力な兵器が出現していくにつれ、戦争に対する欲望をコントロールする代役はスポーツやオリンピックではできなくなりました。古代オリンピックの時代と21世紀の戦争は、次元を異にしています。21世紀は、地球上に核兵器が充満しています。核兵器は、ボタン一つ押せばミサイルに載って、地球の裏側でも爆発させられます。その惨禍は、想像を絶します。核戦争の代役となるスポーツなどありません。
核兵器が充満している21世紀の地球上では、戦争とは別のはけ口を見つけるという方法も無意味とまでは言えないでしょうが、それより、「戦争は、絶対してはならない」という考え方を、全人類の心に、徹底的に植え付けなければならないと確信します。「戦争は絶対しない」という考え方は、哲学の世界でも、宗教の世界でも、人類共通の考え方としなければならないのです。
核戦争となり、人類滅亡、地球壊滅となっては哲学も宗教もないのです。ですから、どのような哲学であれ、どのような宗教であれ、戦争を肯定する考えはあり得ないのです。
核兵器が開発された後の戦争は、放棄しなければならないのです。日本国憲法9条は、それに気付いた占領軍幹部と日本人が、世界史上初めて、憲法に「戦争放棄」と「戦力の不保持」を謳った画期的なものなのです。
欲望をコントロールすることの必要性について、2500年も昔に、釈迦は「少欲知足」と教えました。ですが、「戦争をしたい」という欲望は、21世紀の現代においては、少欲知足では足りません。「戦争は絶対にしない」、「戦争をしたいという欲望は、完全に放棄する」という哲学、宗教、知恵を持たなければならないのです。
戦争をしたら、人類滅亡、地球壊滅に至る危険性が現実となっているのです。繰り返しますが、人類滅亡・地球壊滅になったら、哲学も、宗教も、知恵もあり得ないのです。人類も地球も、そういう状況に置かれていることの認識を人類は共有しなければならないのです。
それが「戦争を防止する心」なのです。「戦争を防止するしくみ」を考えるに際しても、この心を忘れてはならないのです。
(拙著「新・憲法の心 第21巻 戦争の放棄〈その21〉」から一部抜粋)
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