民事裁判最中、私たちが真相究明に奔走しているとき、今の社協理事で町長が、現職になる前の話を耳にした。彼が町長のへの登りつめる途中、実は我が家の親戚一同が、彼を選挙に勝たせるため、彼に協力したことがあったというのである。農協で勤めていた叔父や、農家の方々に顔がきく母方の叔父がいた。彼らの顔で大きく票が動いたなどという話も聞いた。
地縁が幅を利かせる田舎では、これ自体は特に珍しい話ではないだろうし、何だか皮肉な巡り合わせではあるが、まさか法廷にまで持ち込まれるトラブルに巻き込まれるなど、夢にも思わなかったのだから、仕方がない話ではある。
しかし、それでは済まされない話も過去にあった。それは、母方の実家、つまりは叔父の家に親戚一同が集合させられて、町長の意を受けた議員から、民事裁判をやめさせるよう、働きかけた経緯があったのだ。選挙同様に親戚を使えると考えた町長自身が、絵を描き、民事裁判の訴えを取り下げの要求をした、としかとれなかった 。
だが、結論からいえば、その話は、かえって私たち家族の怒りに、火に油を注ぐこととなり、徹底追及の気持ちを、さらに固めさせるものになった。その結果が、民事裁判が終わっても、私たちの事件について町議会までひっぱり、事件の真実と責任を追求させることにつながったのである。
結局、町長は、裁判でも議会でも、真実を隠すことだけに走り、非を認めることをせず、その間に前記したような、まさに使える手は何でも使うという姿勢をとった。そして、その彼の驕りが、今まで装ってきたマスクを剥がされるように、この町議会で白日のもとにさらされ、彼の信頼は、音を立てて崩れたのだった。
なにより彼が気になったのは、彼を信頼しきっていた農家の方々のざわめきだっただろう。傍聴席からは、こんな声が飛んだ。
「この町長、嘘つきだったのか。もしかして、私たちを騙していたのか。被害者の味方ではなく、窃盗犯の見方だったのか。こいつを町長にして祭り上げた俺たちの立場は、どうなるんだ」
この言葉が耳に入った時は、彼はたまらなく切なかっただろう。それは、彼の心に突き刺さったに違いない。彼自身、こう思ったかもしれない。「長い民事裁判は終わって、次に、町議会での追及されるとは、夢にも思わなかった」と。
やじが気になり始めた彼は、いよいよ追い詰められたようだった。彼の口からは、弱々しく、こんな言葉がポロリと出た。
「窃盗賠償金額につきましてはですね、立替になります」
ある意味、不思議な気持ちではあったが、私たちの司法での闘いでは、彼の横には、ずっと強い味方であるばずの、代理人である弁護士が付き添い、そして、私たちにはいなかった。しかし、ここではもはや代理人は通用しなかった。用心棒のように、代理人を前に押し出し、自分がその陰に隠れることも許されなかった。この場を乗り切るには、彼は、自力で乗り越えないといけない。私たちの闘いは、結果的にも、そこまで追い詰めるものとなったのだ。そんなことを改めて思った。