司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>



 〈「選択肢にない」ということ〉

 前回ご紹介した、私の尊敬する法律専門家・K氏は、「千田先生が著された『新・憲法の心 戦争の放棄』は、毎回様々な視点から憲法の意味や日本人として大切にしなければならない事について分かりやすく書かれており、先生のご見識の高さに敬服しているところです。それとともに、毎号、私たちに良質の『宿題』を出されているように思い、読み終えてからしばし自分なりにその宿題をあれこれ考えておりました」と書いて下さいました。

 社交辞令的面が強いとは思いますが、素直に嬉しくなりました。身に余る光栄です。

 私が「戦争の放棄」の巻を書き続けてきた本当の気持ちは、他の人に宿題を出すなどという大それた思いはないのですが、弁護士の端くれとして法の解釈に関わる仕事を48年にわたってさせてもらい、法の中でも基本法である憲法、特にその中でも核心部分である憲法9条をどのように考えるべきかということを、自分自身に対する宿題としてライフワークの1つにしてみようと考えたです。他人に対する宿題ではなく、自分に対する宿題なのです。

 K氏は、さらに「私も千田先生がおっしゃるとおり、日本には、紛争解決としての『戦争』や『戦闘行為』という選択肢はないと考えております。私なりの立ち位置で、もう少し個人のレベルで憲法9条の意味をとらえてみたいと思います」と述べたうえで、前回述べたような意見を開陳してくれました。

 「それぞれの国には、紛争を解決する手段として、AからZまで順番に選択肢がある」という考え方には、「なるほど」と目から鱗でした。鋭い見方であり、かつ大変分かりやすい言い方です。そのうえで、「日本は、AからZまでの手段の中に『戦争』という選択肢はないと考えております」と言い切っています。

 「快刀乱麻を断つ」という小気味よさを感じます。胸がスーッとして痛快です。心底より我が意を得ました。「こう表現すれば分かりやすい」と教えられました。「流石に緻密にものを考える方の発想は素晴らしい。これは是非紹介しなければならない」と思い、急遽転載させてらうことにしました。

 その通りです。日本には紛争を解決する手段として、「戦争」という方法はAからZまでのどこを探してもないのです。「あいうえお」の「あ」から「ん」まで探しても、出てこないのです。それが「9条は、自衛戦争も放棄している」、「9条は、完全戦争放棄の規定である」という意味です。

 それにもかかわらず、「自衛戦争はできる」、「集団的自衛権は行使できる」、「外国へ出向いて同盟国と一緒に戦争ができる」などという現政権の下で生きる弁護士としては、言わずにはいられません。黙っていられないのです。


 〈犠牲者たちの「遺言」〉

 K氏は、「私は、憲法9条を、先の戦争で犠牲となった方々が、命を賭して、生き残った者への遺言として、『戦争という選択肢をわざと外した意味をよく理解し、国民ひとりひとりが、政治、経済、文化、宗教、その他のあらゆる手段を使って、全ての叡智を注いで、なんとしてでも戦争以外の方法で紛争を解決してほしい』という祈りにも似た気持ちをこの一条に込めたものと理解しています」と述べています。

 この憲法9条に対する理解は、私も全く同感です。そのことは、前述の「制定時の主要発言」(第52回)の紹介の中でも述べました。また前文も明言している通り、9条は先の戦争の反省の結果、生まれたものであることは間違いありません。戦争は、悲惨です。これ以上、惨めで、酷いことはないのです。

 憲法9条は、20世紀に入って勃発した第一次世界大戦における2000万人とも言われる犠牲者、第二次世界大戦における6000万人とも言われる犠牲者の「もう戦争はしてはならない」という遺言が結集したものととらえるべきです。

 K氏は、「9条を読むたびに、犠牲となった数百万の天の声から『今の状況であなたがたは本気で(戦争で)紛争を回避できると思っているか、最後には戦争をするしかないととぼけたことを考えていないか。政治家ではなく、あなた自身が、あなたのやれることを全くやりつくして紛争を回避しようと不断の努力を尽くせといっているのが分からないのか』としかられているような気持ちになるのです」と述べられておられます。同感です。私もそんな思いでこの本を書いています。

 私は、戦争では紛争解決はできないし、それをしたら安全保障は成り立たないと思っています。そのことを、政治家だけでなく国民1人ひとりが考えなければならないと思います。

 20世紀前半の第一次世界大戦、第二次世界大戦などを振り返ってみて、特に原爆が存在する20世紀後半からは、憲法9条の自衛戦争をも放棄した「完全戦争放棄」こそ戦争回避の方法であり、世界の平和を守る唯一の安全保障だと確信し、私は本を書いています。

 20世紀後半以降は、米国かどうの、中国がどうの、ロシアがどうの、北朝鮮がどうのというレベルでは、地球の安全は守れない状況になっているのです。

 個別的自衛権であれ、集団的自衛権であれ、戦争では安全保障はてきないことがはっきりしているのです。

 「9条は自衛戦争まで放棄している」と考えなければ、9条の意味は失われてしまうのです。9条は、それまでどこの国でも紛争解決の手段としてAからZまで考え、Y、Zという、最後の最後になれば「戦争」という手段を想定していたのてすが、Y、Zになっても、戦争という選択肢はとらないことにしたのです。

 自衛戦争まで放棄してしまうと、紛争解決の手段として、「戦争」は選択肢の中に全くなくなるのです。核兵器が大量に存在する地球において、もはや戦争は安全保障の手段となり得ないのです。

 (拙著「新・憲法の心 第15巻 戦争の放棄〈その15〉」から一部抜粋 )



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