〈「名誉ある地位を占める」ということ〉
日本国憲法の前文には、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」と宣言しています。日本国憲法は、「平和を願う国際社会において、名誉ある地位を占めたい」との思いで創られたものであることは、この前文から明らかです。
それを夢物語に終わらせるか、現実のものとして実現させるかは、国民一人一人の考え方にかかっています。憲法は、国の基本法ですから、その心に従って政治は行わなければなりません。政治が憲法の心に従って行われるかどうかは、主権者である国民が監視し、コントロールしなければならないのです。
憲法の規定を、単に理想として飾り物のように扱い、実現に努めないという態度は許されません。特に、政治家は「憲法の心」を実現すべく、日々努めなければなりません。「平和を願う国際平和において、名誉ある地位を占める」ための具体策を考えるのが、政治家の責務です。
ところが、これまで述べたように日本の主だった政治家は、「平和を願う国際社会において、名誉ある地位を占める」方向とは真逆に、「戦争放棄」の規定を廃棄して、「自衛戦争はできるから、そのことを憲法上明示し、自衛隊を国防軍にしよう」などと言い出し、諸外国、特に近隣国である中国、朝鮮などの東アジア諸国から強い警戒心を持たれるに至っています。
私は、自衛隊は国防軍とはせず、国際救助隊とすることが「平和を願う国際社会において、名誉ある地位を占める」ことになると確信しています。それこそが、真の「積極的平和主義」です。
日本国憲法前文は、さらに「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と謳っています。全世界の国民が恐怖と欠乏から免れるために、国際救助隊の存在は大きな意味を持つものと確信します。自衛隊が国際救助隊となれば、その活動によって世界の国民が、どれほど多くの人間が、恐怖と欠乏から免れられるか分かりません。
今、地球上で恐怖と欠乏に苦しんでいる人がどれほど多くいるか、テレビニュースの情報だけでも容易に想像できます。テレビニュースで流されない部分では、さらに多くの困窮者がいるだろうと思います。このような恐怖と欠乏のなかで、弱々しく、細々と、辛うじてその命をつないでいる人間は、世界中に数限りなくいるはずです。日本国民は、「戦争放棄」の規定のお陰で平和で裕福な生活を送れています。しかし、世界には、恐怖と欠乏の中で生活している人が大勢いるのです。
このような恐怖と欠乏の中で生きている世界中の人を救助する国際救助隊を、世界に先駆けて日本が創り、世界の隅々まで送り出すことは、日本国憲法が掲げている理想を実現する具体的方策であると、私は確信しています。
憲法違反の自衛隊を、憲法が理想として掲げている「平和を願う国際社会において、名誉ある地位を占める」ための組織に変えることは、固体をいきなり気体に変えるようなもので、まさに昇華的グッドアイデアだと自負しています。自衛隊は、いきなり「人殺し集団」から、「人命救助の集団」に変わるのです。
軍事力を増強し、集団的自衛権を行使して戦争をすることが、「積極的平和活動」であるが如く主張している安倍首相の考え方には大反対です。口は重宝です。何とでも言えます。御用学者にもっともらしい理屈を言わせることはできます。しかし、「戦争は、平和ではない」ということは、子どもだって知っていす。軍事力の増強、戦争放棄の廃棄は、平和主義とは全く反対の方向を目指すものです。真の「積極的平和主義」は、自衛隊を国際救助隊にすることです。
〈自衛隊の実績〉
「防衛白書」(平成25年版)には、「自衛隊はこれまで在外邦人等の輸送、災害派遣、国際平和協力活動に取り組んできた」と記されています。これらは、いずれも戦争行為ではありません。自衛隊は、これまで戦争をしたことはありません。ですから、戦争に関する実績がないのは当たり前です。それでよいのです。「戦争放棄」を規定した日本国憲法の下では、戦争実績はあってはならないのです。
自衛隊には戦争実績はありませんが、何の実績もないということではありません。自衛隊のこれまでの災害派遣の実績を無視することはできません。この実績は、正当に評価しなければなりません。自衛隊ほど、災害救助隊としての力を見せてくれた組織はありません。自衛隊の災害救助能力は優れていると確信します。その実績も高く評価してよいと思います。
前記「防衛白書」は、「大規模災害への対応」という見出しで、「2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災は、東北地域の沿岸部を中心に壊滅的な被害を及ぼした。防衛省・自衛隊は、当初から、災害者の救助に全力で取り組み、同年12月26日原子力災害派遣の終結に伴い活動を終了した。この間、被災者の生活支援、行方不明者の捜索、福島第一原子力発電所事故への対応など、のべ約1066万人の隊員が従事し、未曾有の事態に防衛省・自衛隊が一体となって取り組んだ」と述べています。
私は、この事実を被災地に生きる者として目の当たりにしました。自衛隊の救助部隊を目にしない日は、一日たりともありませんでした。自衛隊員の懸命な救助活動ぶりには、心の底から感謝の気持ちが湧きました。部隊とすれ違う際には、思わず手を合わせました。
あの時、自衛隊がいなかったら、被災地はどうなっていたでしょうか。自衛隊に対する感謝の気持ちを生涯忘れることができません。この自衛隊の姿を見て、「自衛隊員になりたい」という子どもが、被災地では増えています。子どもだけではなく、大人も、「自衛隊はありがたい」と思っている人が大勢います。
私は、「自衛隊は、憲法違反の存在だから、なくすべきだ」と単純に考えていましたが、東日本大震災・三陸沿岸巨大津波における被災者救助に取り組む自衛隊員の姿を目の当たりにし、考え方に変化が生まれてきました。極めて短絡的発想ですが、あの時から「自衛隊は、救助隊とすべきだ」と思うようになりました。
自衛隊は、東日本大震災のような大規模災害だけではなく、多くの自然災害に対応してきたことは私たちもよく知っています。のみならず、救急患者の搬送、消火支援などもしていることは、不十分ながら知っています。自衛隊のこのような実績を高く評価したいと思います。
前記「防衛白書」は、自衛隊が原子力災害への対応をなしていることも記しています。原子力災害に対する対応は、これまでの警察や消防隊などの能力では対応できないと思います。自衛隊の組織や技術が必要であることは明らかです。
また、前記「防衛白書」は、「原子力災害のみならず、NBC対応能力の向上を図っている」と記しています。「NBC」とは、「核・生物・化学」という意味のようです。このような災害に対する対応は、これまであまり想定されていなかった災害であり、現在の警察や消防隊の能力では、適切な対応は無理であることは明らかです。これは自衛隊に頼らざるを得ない分野です。
自衛隊は国際救助隊となって、救助活動に特化してほしいのです。そのための能力向上であれば、国家予算を使うことに異論はありません。
(拙著「新・憲法の心 第5巻 戦争の放棄(その5)」から一部抜粋)
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