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 〈「憲法の母体」〉

 憲法96条の憲法改正の手続に従えば、いかなる内容の改正を行うことも許されるという考え方は、既に述べましたが、憲法の前文や他の条項の明文だけを見ても間違っていることが分かります。憲法改正無限界説は、そもそも憲法全体を見ていないのです。憲法の条文も、その1カ条だけが独立しているのではないのです。タテ、ヨコ、ナナメと憲法の前文や、他の条項と深く関連しているのです。

 憲法96条の憲法改正の手続の条項だけ見て、その手続に従えば、どのような内容にでも憲法を改正できるという考えは、木を見て森を見ていないという間違いを犯しているのです。憲法の前文や、他の条項を見ただけでも、そのことが分かります。

 一部だけを取り上げ、自己の主張の裏付け資料とするのは、安倍政権とそれを支援する学者等の得意とするところだったようですが、一部だけではなく、全体を見てほしいのです。憲法96条だけではなく、憲法の前文や他の条項も見てほしいのです。

 のみならず、本当に大事な部分は、憲法に書かれていない、憲法ができあがった、そのもととなる部分、つまり憲法が生まれ出た母体という部分に深くかかわっているのです。憲法改正の限界を知るためには、憲法ができ上がったもととなる法、つまり自然に発生した社会生活を営む上で、守らなければならない決まりや掟を掘り下げなければ見えてこないのです。

 これまでも述べましたが、この部分を、法律家は「自然法」とか、「根本法」とか、「基本法」とか、「原則法」などと呼んでいます。思い付きですが、私は「憲法の母体」という表現がいいのではないか、と思います。この自然法、根本法、基本法、原則法は、必ずしも憲法上に明文化されて示されていないこともあります。これこそ、本当に大事な隠れている部分なのです。

 ここまで見なければ、問題とする内容の憲法改正が許されるかどうかの判断はできないのです。氷山で言えば、海中に隠れている部分です。

 憲法や、国民主権や、基本的人権等の本質、つまり、それがなければ憲法とはいえない部分、それがなければ国民主権とはいえない部分、それがなければ基本的人権の保障といえない部分は何かを考えることが、憲法の基礎理論ということになるのだと思います。

 この部分は、海面上に出ていない部分も少なくありません。つまり、憲法の条文に明記されていないことも少なくありません。それだけに少し難しい問題となりますが、読者諸氏と一緒に考えてみることにします。


 〈憲法の基礎理論を掘り下げる〉

 憲法の基礎理論を考えるためには、憲法とその憲法の基本原則である、国民主権、基本的人権の保障、戦争放棄がなぜ生まれたのか、どのようにして生まれたのか、つまり生まれて既に存在する憲法だけではなく、憲法が生まれた経緯や背景や思想などを知る必要があります。憲法を生み出した母体を知る必要があります。

 憲法を知り、国民主権を知り、基本的人権の保障を知り、戦争放棄を知るために憲法に隠れている部分を見なければなりません。

 特に、日本国憲法を知るためには、その誕生のきっかけとなったポツダム宣言を知らなければなりません。なぜポツダム宣言に到ったのか、ポツダム宣言の内容は何か、ポツダム宣言の目指すところは何か、を知らなければなりません。

 一部タレント議員のように、人気だけで国会議員となったという人の中には、ポツダム宣言を知らない人がいそうです。ポツダム宣言を知らないような人は、国会議員には相応しいとは思えません。ましてや、そのような方は、日本国の首相にはどうかと思います。日本国憲法を生み出した母体はポツダム宣言であり、明治憲法下において繰り返された戦争に対する日本国民の反省です。

 日本国憲法を生み出した母体は、憲法の条文には必ずしも表現され尽くされてはおらず、隠れている部分があります。その隠れている部分こそ、基本的人権と憲法改正の関係を知る上で、重要不可欠なヒント(解決や着想の手掛かり)がありそうな気がするのです。

 憲法の奥に隠れている部分を捜す作業が、憲法の基礎理論を掘り下げることではないかと思います。思い付くまま、憲法の基礎理論に関する私の貧弱な知識と思いを述べてみます。ここは、日本国憲法を生み出した母体について語ることになり、宗教、哲学にまで及びそうな部分であり、私如きに語れる領域ではありません。まず、幼稚と言われそうですが、多くの人が知っている話から入ってみたいと思います。

 憲法の基礎理論に関する話は無限にあると思いますが、ここでは普段よく目にしたり、耳にしたりはするものの、その意味がよく分からないとされる言葉のうち、特によく使われる言葉について、いくつか述べています。

 私の印象では、「法の支配」「立憲主義」「法治国家」「自然法」「天賦人権思想」などが憲法の基礎理論の中に出てくる言葉として頭に強く浮かんできます。読者諸氏は如何でしょうか。最近、政権担当者側の口にものぽることがあるようですので触れてみます。

 基本的人権と憲法改正の関係という視点で、これらの言葉について、私の知る範囲で、私の理解に基づき、私の言葉で、私がこう考えた方がよいのではないかという私の好みによって、解説してみます。

 学問的には間違いが多いと思いますが、「そういう見方もあるのか」という程度に受けとめてください。それがきっかけとなって、それぞれが考えるようになれば、それで十分です。考えるきっかけとなるような話をしてみたいと思います。

 (拙著「新・憲法の心 第25巻 国民の権利及び義務〈その2〉」から一部抜粋)


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