〈尊重されるべき残す人の気持ち〉
法律は、個人の生活を制約するためにあるのではなく、個人の自由を守るためにあるのです。国民一人一人が、一度限りの人生をどのように生きるかを自分で決め、決めた生き方に従って生きられるように、他から不当な干渉や侵害がされないように守るために法律はあるのです。
法律は、国民の個人の生活に不当に干渉しては、法律の本来の目的に反してしまいます。法律の目的に逆行してしまいます。国民は普段から、このような意識を持っていなければなりません。これが権利意識です。
このことは、相続に関する法律を考える時にも、忘れてはなりません。相続に関する法律を考える時にも、個人の生き方を尊重することが最も大事に考えられなければならないのです。
相続問題に、国や法律や裁判所が干渉することは、本来あるべき姿ではありません。本来は相続に関係する人たちが、自分たちで決めることなのです。そこを知らないで法定相続分とか遺留分という法律の一部分だけを知って、そこだけをピンポイントで取り出し、裁判などにしてはならないのです。
相続問題は、財産を残し、それを誰かにやろうという人と、誰かが残した財産をもらう人との問題です。個人と個人の問題です。遺産をやろうという人と、遺産をもらおうという人の生き方の問題です。国が干渉してはならない分野です。
個人の生き方は、他人に迷惑をかけない以上、その人の気持ちで決めることで、国が干渉し、法律で制約してはならないのです。それをやったら、近代国家の究極の目的である個人の尊厳を守るという国の役割に真っ向から反してしまい、憲法に反してしまいます。
生き方は自分で決めるものであり、生き方は国が干渉し、法律で制約してはならないという近代国家の理念は、国の機関だけが守らなければならないのではないのです。国民一人一人も、その理念は実践しなければなりません。
遺産を残す人の気持ちを書いた遺言書には、遺産を残す人の気持ちが示されています。この遺産を残す人の気持ちは、遺産を残される立場の人も、最大限尊重すべきです。国も裁判所も遺産を残した人の気持ちを尊重しなければならないのみならず、遺産を残された人も、遺産を残した人の気持ちを尊重しなければならないのです。
〈遺留分への誤解〉
遺留分という法律の規定があるから、遺留分をもらわなければ損だと言って、父の遺言書に反し、二男が長男に対し遺留分を請求するような例がよく出てきます。遺留分という法律があるのですから、それを請求することは違法ではないのですが、とてもあるべき姿とは思えません。遺産を残した人の気持ちが無視されることになります。
遺留分を請求することは、遺言書に書かれている父の気持ちに反しています。法律の規定を利用して、自分の権利を主張するか、父の気持ちを大事に考えるかは、その人の生き方の問題です。法律などに頼らず、自分の気持ちで決めなければならないのです。それが哲学の実践です。それによって哲学を実現するのです。
法律は「遺留分を請求しなければならない」とは、決めていません。請求するかどうかは、遺留分権があると法律が定めている人の自由で、その人の気持ちの問題です。請求しなくてもいいのです。権利があるということと、それを行使することは、全く違う次元の問題です。権利を行使するかどうかは、その人の生き方の問題です。
相続問題は、法律より気持ちで決めるべきだと思うのは、このような局面において特に強調したいのです。遺留分という法律があるから、遺留分を請求しなければならないと思う人がいたら、それは法律を誤解しています。この機会に訂正して下さい。遺留分があっても、請求するかどうかは自分で決められます。法律は「遺留分は請求しなさい」とも「しなければならない」とも書いていないのです。
(拙著「いなべんの哲学 第6巻 」から一部抜粋)
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