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 朝日新聞は9月12日、日本がウクライナへの支援について、民生分野で力を発揮することを期待する内容の社説を掲載した。冒頭、次のような表現で切り出している。

 「ロシアのウクライナ侵略は決して許されない。その強い意思を明確に示す。戦災や災害からの復興で培った知見を民生支援に役立てる。主要7カ国(G7)議長国として国際社会の連帯を促す。これらで日本の力量を発揮できるかが問われることになるだろう」

 しかし、この社説のどこにも「停戦」という文字は見当たらない。もとよりロシアの侵略が許されないことも、戦時下の生活支援や復興に日本が力を発揮すること自体は、異論はない。しかし、戦争継続のさなかに、「停戦」を前提としないこの主張が、実質的にどういう意味を持つのか、「朝日」をして分からないとはとても信じられない。

 いうまでもなく、それはウクライナが意図している戦争継続、つまり戦争という手段による領土奪還を支援する西側諸国と一体のものと当然にみられておかしくない、ということである。ゼレンスキー大統領がいうような領土の奪還まで、徹底的に戦争という手段を貫く。そのために同大統領の求めに応じて、武器を供与している西側諸国は、文字通り、戦争による紛争の解決を応援している側。「停戦」を前提としない民生支援は、当然、それらと同じ方向の、同じ目的に向かっているものと受け取れる。

 しかも、「朝日」は前記冒頭の一文で、はっきりと「侵略は許されない」ことの「強い意思を明確に示す」と書いている。民生支援での力量発揮の効果の人道的価値を強調する以前に、侵略に対する意思表明としての価値を強調しているようにすらみえる。ゼレンスキー大統領が志向する戦争による侵略者からの領土奪還に対し、民生支援という形での前記意思表明とともに協力するのだ、ということになる。

 「朝日」は7月のG7「共同宣言」に触れ、その軍事的色彩に対し、ご丁寧に「防衛装備移転三原則」を挙げ、「何より平和国家として体得した経験をもとに」として、前記民生分野での力発揮への期待感を改めて強調している。「非軍事」や「平和国家」という日本の立場を十分踏まえているということをアピールしているようにも見える。

 しかし、これまでも度々書いてきたことだが、いかに侵略者からの領土奪還であっても、そのために国民を動員し、多くの一般人の犠牲を生むことが確実である、戦争を継続することは、国際紛争を解決する手段として戦争を永久に放棄すると誓ったわが国憲法9条の立場とは相いれない(「ウクライナ支援と憲法9条の立場」 「『ウクライナ戦争』とわが国で起きていること」 「国民の強制動員からみるウクライナ戦争」)。

 分かってやっているととれる「朝日」の姿勢をみると、さらに嫌な気持ちになってくる。「停戦」を当然のように前提としないこうした論調が、それこそ「非軍事」や「平和国家」として妥当な「民生支援」という形で打ち出されることで、その反憲法9条的な実体から、国民の目をますます遠ざけるものとならないか。いや、それをむしろ意図しているのではないのか、という疑念さえ湧き上がってくるのだ。

 「平和国家として体得した経験」と「朝日」は言ったが、日本国憲法前文と9条からにじみ出る戦争の教訓と非戦は、なぜ、そこから除外されているのだろうか。民生支援を直ちに行う意義があるとしても、わが国はこの立場を明確に、戦争継続のために軍事的支援を続ける諸国と立場を異にすることを鮮明にし、むしろそこを一体のものとみられることにクギを刺す姿勢こそが必要なのではないか。

 そのことを言えないわが国の政府、政治家、そして大マスコミの現実を、私たちは、はっきりと認識しておくべきである。



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