司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 

 過ぎ去った年月を示されたとき、人は自分の生を重ね合わせて、その長さを感じようとする。自分が過ごした時間に置き換えてみて、何をどのくらいやれた時間だったのか。あるいはその長さによっては、人生をどのくらい「浪費」した、全体の何分の一に相当するのか。それは、どこかで無意識のうちに、時間の価値を、自らの経験や、想定される人の寿命から算定する試みをしようとしてしまう人の性向のようにも思える。

 

 「袴田事件」の死刑囚、袴田巌さんが自由を失われた48年間という歳月を突き付けられた多くの国民が、おそらくそうした同様の試みを経て、その重さと取り返しのつかない深刻さを共有しているはず、といっていい。しかも、彼の置かれた状況は、死刑囚として、「死」と向き合う日々である。もちろん、その先に彼に対する深い同情心、あるいはこの悲劇を生み出した何者かに対する怒りを私たちはおそらく共有することができる。

 

 ただ、あえていえば、それでは全く足らないように思う。私たちが本当に直視して、絶対に許してはいけないのは、一人の人間を陥れた司法。その48年間まともに機能しなかったその実態そのものでなければならないと思うからだ。

 

 足利事件や東電OL殺害事件に続き、今回も大きな役割を果たしたDNA。衣服についた血痕のDNAの不一致が、確定判決の中心的な証拠が揺らぎ、それでもDNAの劣化の可能性をいう検察の主張を裁判所は退けた。判決も「DNA型鑑定の証拠などが確定審で提出されていれば、有罪との判断に到達していなかったと認められる」と、はっきりと判示している。

 

 ただ、では袴田さんが自由の身になるためには、本当にDNA鑑定の登場を待たなければならなかったのか。そうでなかった。最も衝撃的なことは、決定そのものが、はっきりとそのことを明らかにしているからだ。

 

 「証拠が後日捏造されたと考えるのが最も合理的で、現実的にはほかに考えようがない。このような捏造をする必要と能力があるのはおそらく捜査機関においてほかにない」

 「(袴田さんは)捜査機関により捏造された疑いのある重要な証拠によって有罪とされ、きわめて長期間死刑の恐怖の下に拘束されてきた」

 

  「捏造」。この恐るべき事実が、この再審請求審を通して、裁判所が認めた結論だった。つまり、彼を有罪にする証拠はなかった。有罪にするために作られたものだった、と。とりわけ、この短い決定文面のなかで、異様な響きを持つのは、「捏造をする必要と能力」という下りだ。「必要」とは、まさに無罪の推定など夢のまた夢といいたくなるような、確信的に人を証拠もなく「有罪」に陥れる必要性を捜査当局がもっていることを意味し、「能力」とはそれを可能にする能力を彼らが備えている、ということを、いわば確認しているといっていい。

 

 捜査当局は、やはりずっと前から、我々国民の想像を絶する不正義をはらみながら、人を「有罪」にすべく訴追してきたということになる。そして、その実態を見抜くことも、指摘することもなく、結果として許してしまった。そして、その先に袴田さんの48年の自由剥奪があったのである。「捏造」である犯罪的といっていい捜査当局のでっちあげと、それをまんまと許してしまう裁判所の「欠陥」。それがあまりにお粗末であり、かつ、絶対に許すことがあってはならない、48年間にわたる司法の機能不全の中身なのである。

 

 今、この現実を前に、司法改革のバイブルとなった13年前の司法制度改革審議会の最終意見書を見ると、奇妙な不快感に襲われる。「国民にとって、より利用しやすく、分かりやすく、頼りがいのある司法」「質量ともに豊かなプロフェッション」「司法に対する国民の信頼を高める」――。無実の人間を48年間、救い出せず、そればかりかそれ自体を意図的につくる側として加担したかもしれない司法について、一体、何を言っているのだろうか、と。

 

 いうでもないことかもしれないが、こうした「改革」の目指すものが、意味あるものだとしても、まず、この冤罪・誤判を生み出している現実をそのままに、「国民のため」「市民のため」などということが掲げられるわけがない。「理想」や「理念」を語る、はるか以前の最低限の「質」と「機能」を、この国の司法が満たしていない現実を考えるならば、既に死刑再審無罪を出していた司法の改革は、それこそ第1編第1章として、その解消が掲げられてしかるべきではなかったのか、と思わずにはいられないのだ。

 

 それどころか、「改革」はこのテーマを一顧だにしなかった。そのことに、より闇の深さを感じてしまう。司法の機能不全は、「二割司法」が暗示したようなこの社会に対する不正の放置以前に、司法のなかの不正の放置として存在していた。

 

 「(袴田さんの)拘置を続けるのは耐え難いほど正義に反する状況にある」

 

 裁判長の叫びのように見えてくる、この下りを多くのマスコミも注目している。これは、ある意味、歴史的ともいえる裁判所の自己断罪的決定の一文だ。ただ、それでもまだ、足りない。その時々、繰り返されてきた「猛省」などという言い回しだけで終わらせないためには、今度こそ、この最も深刻な司法の機能不全に対して、私たちはそれを絶対に許さない、強烈な不信の目をもってにらみ続けなければならない。



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