司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 裁判員裁判で無罪、控訴審で逆転有罪となった覚醒剤密輸事件で2月13日、控訴審判決を破棄し、無罪とする最高裁判決が出た。マスコミは、「裁判員判決、尊重の判決」として、大きく報じている。

  「控訴審が第1審判決に事実誤認があるというためには、第1審判決の事実認定が論理則、経験則等に照らして不合理であることを具体的に示すことが必要であるというべきである。このことは,裁判員制度の導入を契機として、第1審において直接主義・口頭主義が徹底された状況においては、より強く妥当する」

 結論から言えば、この判断に従ってこの事件の控訴審判決は、前記論理則、経験則等に照らして不合理な点を十分に示していないとされ、破棄ということになるのだが、いうまでなく、この判断はそれにとどまらない影響力を持つ。「より強く妥当する」という最後の一文に、裁判員制度推進派のマスコミが既に評価を下しているような、この判決の政策的な重みがあるからだ。2008年に司法研修所の研究報告書が示していた方向を確認し、より決定的に「指針」化するものといえる。

 それは、職業裁判官による控訴審が「国民の判断」を無意味化する可能性があることを、「三審制」の意義よりも重くとらえるものとみることもできる。だが、それは量刑のバラツキをさらに進める可能性も指摘されている。裁判員判決「尊重」指針によって、職業裁判官の量刑相場での是正機会がなくなるというものだ。

 また、国民の判断の無罪が覆された控訴審の判断に対し、裁判員裁判「尊重」が結論付けられた今回の判決のケースでは、逆に見えにくいが、仮に裁判員裁判が有罪にしたケースに対し、控訴審が無罪を言い渡すべき局面で、この「尊重」指針がどう働くのか、という、誤判という意味においても、本来、今後国民が目を光らせなければならない重要なテーマもはらんでいる。

 補足意見のなかで、白木勇裁判官は次のようなことも述べている。

  「これまで、刑事控訴審の審査の実務は,控訴審が事後審であることを意識し
ながらも、記録に基づき,事実認定について、あるいは量刑についても、まず自らの心証を形成し、それと第1審判決の認定、量刑を比較し、そこに差異があれば自らの心証に従って第1審判決の認定、量刑を変更する場合が多かったように思われる」
  「しかし、裁判員制度の施行後は、そのような判断手法は改める必要がある」

 裁判官がまず形成した心証を重視する形で進められる控訴審の問題性は、裁判員制度の導入によって改めるべきものだろうか。制度推進派のなかには、これ自体を制度の効果とする人もいるかもしれないが、何か違和感を持つ。

 司法制度改革審議会の最終意見書には、裁判員裁判の上訴について、こんな下りがある。

  「裁判員が関与する場合にも誤判や刑の量定についての判断の誤りのおそれがあることを考えると、裁判官のみによる判決の場合と同様、有罪・無罪の判定や量刑についても当事者の控訴を認めるべきである」

  「国民の判断」を重視して控訴を認めないか、はたまた控訴審も国民参加を認めるか――そのどちらも選択しなかったこの制度は、控訴審に一審を尊重させるということで、その後者については筋を通そうとした、とみることができる。だが、たとえ裁判員でも「判断の誤りのおそれ」があることを考えて、前者を選択しなかったことについては、筋を通せない形になっているということもできる。

 裁判員制度を絶対視するほどに、実は国民の裁判を受ける権利が脅かされるという構図。ここでもやはり、「裁かれる側」より「裁く側」に目を奪われている、この制度とその推進する側の基本的な発想をみる思いがする。



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