司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 

 法律の恣意的運用という切り口は、法律専門家が考えるほど、一般市民に伝わりやすいテーマではない、ということをこれまでも、しばしば感じてきた。冤罪事件の報道などに接して、違法な捜査が行われたという現実に接しても、それは極めて例外的なものと受けとめられ、権力機関は通常、適正に法律を運用するととらえがちであるし、また、そういう権力機関でなくてはならない、という「べき論」が、その前提的なとらえ方を強固なものにする観もある。

 

 つまり、権力機関が恣意的に法律を運用しかねない、ということが、あたかも過剰な不信感に基づく杞憂とするような見方、あるいはそれが「反権力」的な一部の人間の偏見に基づくかのような見方までなされかねない空気が、確かにこの国には存在しているように思える。

 

 これは、権力と市民の関係において最も危険なものであり、同時に権力にとって最も都合のいい状況といえるだろう。

 

 事実上「共謀罪」が盛り込まれる組織犯罪処罰法改正案に対して、多くのマスコミが恣意的な運用の危険性を指摘している。もちろん、過去三回も廃案になった「共謀罪」への国民の不安感は依然として残っているかもしれない。問題は、それが運用と結び付けた権力への不信感として、どれくらい根深いものか。この国に「共謀罪」が誕生してしまうかどうかは、結局、最後はその不信感の根深さで決まる、と思えるのだ。「テロ」「オリンピック」という政権から繰り出されてくる必要論を越えて、権力の濫用への危ない枠組みは、あくまで危ない枠組みとしてとらえられるかどうかが試されているのだ。

 

 ある意味、当然のことかもしれないが、この適正運用、恣意性の排除に、制定を目指す側は司法を持ち出している。この枠組みであっても、逮捕・捜索には裁判所の令状審査がある、したがって恣意的な運用は排除される、という論法を、政府は国会答弁でも一般向けQ&Aでも展開している。仮に法律という枠組みに不安な点があっても、司法が介入するのだから大丈夫という切り口は、さらに冒頭に書いたような市民の油断を誘いかねない。司法=公正という捉え方が、この国でどの程度盤石なものかを判断することは難しいが、冒頭のような権力に対する「べき論」を前提とした形式的ともいえる「信頼感」が存在しているのであれば、およそ司法の介入がもっとも妥当な安全保障である、と考えたとしてもおかしくはない。

 

 つまり、枠組みへの不信感を停止させてしまう、権力にとっては、有効なものになるはずなのだ。ただ、現実は、どうなのか。ここにきて一部メディアが相次いで、この点で警鐘を鳴らし始めている。

 

 「実際には捜査機関の令状請求はほとんど却下されていない。裁判所によるチェック機能が働いているとは言い切れない現状がある」

 

 4月25日付けの西日本新聞は、最高裁の情報として、2015年年度に全国で約10万2000件あった逮捕状請求のうち、却下は62件で、却下率は0.06%にとどまり、捜索差し押さえや検証許可などの令状も約24万9000件の申請に対し、却下は108件しかない現状を報告。「日本の裁判官は捜査機関が提出した資料で判断する。捜査側の言い分だけで判断するので、よほどおかしな点がない限り却下されない」とする弁護士のコメントも入れて、裁判所は恣意的運用の歯止めにはならない、という見方を伝えている。

 

 さらにAERAも同日付けで、「共謀罪で司法は歯止めにならない 元高裁判事が語る」というタイトルで記事を配信。元東京高裁判事の木谷明・弁護士の次のような指摘を紹介している。

 

 「治安維持法の時代と全く同じとは言わないが、裁判所の体質はいつの時代も権力寄りになりやすい。裁判官にとって、権力に逆らった判決を書くのは労力と決断を要することです。私は裁判官時代に30件を超える無罪判決を書きましたが、一生に一度も無罪判決を出さない裁判官だっています」
 「権力側にたてついたために、不利な処遇を受けたとみられる例も決して少なくありません。そういう人事も目の当たりにする多くの裁判官は、当局の意向を『忖度』して、『事なかれ主義』に陥っていくのです」
 「逮捕状、捜索差し押さえ令状は、捜査官が提出する一方的な資料に基づいて、発布の適否を判断します。しかし、捜査官から提出された資料が真実かどうかを裁判官が判断するすべはない。『資料が足りない』と指摘すると補充してきますが、それで疎明(裁判官が事件の存否について、一応確からしいという心証を得た状態)できれば、裁判官は令状を発付せざるを得ません。この段階で歯止めをかけるのは非常に難しい」

 

 このほか、木谷弁護士は、事件が起きてからのバッシングを恐れて裁判官が捜査機関の意向に従って令状を発付することや、捜査側も令状発付裁判官の当番制で簡単に令状を出す裁判官を見計らって申請するといった実態にも言及している。要は、裁判官の心理的にも、令状審査の構造上も、歯止めにならない実態が現実に存在している、ということである。「裁判所は、権力に『なびきやすい』と知るべき」「間違っても『裁判所があるから大丈夫』などと、安心しては」いけない、というのが、同弁護士の結論なのである。多くの国民は、まだこの実態を知らない。

 

 機能不全があるらば、それを機能させるのが本質的な解決策だ、という意見はあるだろう。だが、現実問題として、われわれが監視できない、コントロールできない危険性がはっきりしている枠組みを作ることは認めるべきではない。そこにある権力への甘い期待感、緊張感のない関係こそが、彼らに都合のいい、恣意的な運用をもたらすのである。

 

 「『共謀罪』令状却下あるの? 裁判所のチェック機能、実効性懸念も」(西日本新聞4月25日付け)
 「共謀罪で司法は歯止めにならない 元高裁判事が語る」(AERA4月25日配信)



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