司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 国政選挙前に、毎度のことのように有権者に対して、啓蒙的に呼びかけられる「投票にいこう」という言葉に、かねがね違和感を抱いてきた。この言葉が、有権者の投票行動をどのようにみて、何を期待しているのかを、やや測りかねてしまうからだ。 別の言い方をすれは、投票しないのは、すべて有権者側の問題行動なのか、そこにはれっきとした意思、つまり投票したい人、適格者がいない、という意思表示は含まれていないのか、ということである。

 かつて、ある憲法学者は学生たちに対し、「投票したい人」がいないのならば、棄権するではなく、白票を投じて、政治意識を示せ、と言っていた。要は、面倒くさくて投票に行かない人間の意思と、明確に違う意思、「該当者なし」の意思をこれで示すべきだ、ということだった。

 しかし、前記啓蒙的呼びかけは、この憲法学者のいうような、「いないならば白票」を投じることを国民に求めるものにはとれない。誰かを選べ、いうなれば、「よりまし選挙」を求めているものにとれる。投票に行かない人の判断・意識が、「よりまし」が見当たらないということだったのならば、どうなのだろうか。無責任な「よりまし」はやりたくない、という意思に反することを求めていることにもなりかねない。

 この疑問が、そのまま8月31日付け朝日新聞オピニオン欄「私の視点」(物部康雄弁護士)に取り上げられていた。物部弁護士も、この啓蒙活動が「誰でもいいから適当に票を入れてくれることを期待しているのだろうか」と疑問を呈している。しかし、「選挙に行かない」現状への打開策として、同弁護士が提案するのは、意外なものだ。投票者に支給される1万円の日当制度だ。

 前記の啓蒙活動も、話題になったネット選挙も、効果なく、先の参院選の投票率は52.61%と戦後三番目の低さ。国民が参加しない政治には、「自分を支持してくれる組織・団体の利益の代弁者になることで当選が決まる」、だから、投票率が低いと組織・団体利益の代弁者でないと当選できないから、国民が投票したくなるような人も立候補しない。この打開には、投票の強制(罰金制)か、メリットの付与しかない――。これが、物部弁護士が日当制提案に至る、現状認識と根拠である。

 前段の認識は、その通りだと思う。逆に選挙は、ある候補に「代弁者」なってもらうことで、具体的に、そして個人的に利益が見込めると判断できる有権者だけのものになっている、つまりは社会全体を考えるのではない関係性が選挙を支えているということだ。物部氏の選択は、権利の強制(実際に裁判員制度は「権利」と位置付けて強制しているが)はあり得ないとすれば、もはやインセンティブしかない、という判断だと思う。

 そこまで理解するのだが、それでもやはり違和感はある。これは見方を変えると、前記のように、代弁してもらっても個人的に経済的な妙味のない有権者に、目先の具体的な経済的妙味を与えることで、投票に来させるということである。要は、これもまた、社会全体の利益を有権者が考えるものではない、要は、発想は現状の関係と同じ、むしろその論理の方に合せる提案ととれるのだ。

 現状の個人的な利害関係なく投票に行っているような「立派な人」に、みんながなる必要もない、啓蒙活動で投票率が90%を越えたらば、そんな社会は「ぞーっとする」、むしろ日当で99.9%になる方が、「自然だし、ほほえましい」とまで、物部弁護士はいう。なぜ、そうなるのかも、今一つ分からないが、一つ肝心なのは、日当制にしたならば、おそらくもう後戻りはできない、ということだ。つまり、日本の選挙は、未来に向けて、こうした個人的な利害関係でつながるものになる。それでもいいのか、という問題だ。

 冒頭の話でいえば、これで選挙に行く人が増えて、「白票」を引き出すことができるか、さらに前記現状認識に立てば、「組織・団体利益の代弁者」ではない人が立候補できる可能性が生まれ、そうすれば、有権者にとって、本当に「投票したくなる人」も生まれる、という見通しなのかもしれない。そううまくいくのかも、確信は持てないが、そもそもそれと引き換えに、この国の政治と国民を選挙がつなぐ関係を、後取りができない形で、決定的に変えることになる。つまりは、投票率を上げるために、「立派な人」を目指す理想を放棄することにとれてしまうのだ。

 この提案に対して、フェイスブック上では、1年経っても「いいね」は16。目標10万には遠く及ばず、若者の反応もない、という。物部氏は、紙上「お金のからむことへの心理的な抵抗」と分析しているが、そうだとすれば、この心理は、むしろ本来の選挙の在り方からすれば、まともな考えになるが、日当制への道は、それもかなぐり捨ててもらわねばならない。

 では、どうするか、といわれても、現状打開の特効薬はない。だか、物部弁護士の提案は、もっと議論されてもいいと思うが、この方向に進むのであれば、結局、私たちに残されているテーマは、本来の在り方とそれへの道筋ではなく、それを断念した「よりまし」とをどう考えるということだけなのか、という気持ちになってくるのである。



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