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 政府法案に与党自民党内からの異論で修正が迫られる、異例の展開になった再審制度見直しだが、一貫してその大きな焦点は、再審開始決定に対する検察の不服申し立て(抗告)だ。前記展開の中で、もはやフェーズは、制限か禁止かになってきてはいるが、そもそもなぜ、検察や法制審議会委員になっている刑事法学者らが、ここ死守する方向なのか――。

 彼らが振りかざしてきたのが、「三審制」「法的安定性」である。要は、確定した有罪判決が覆るのは、あくまで例外的なものでなければならず、検察側の不服申し立ての機会をなくせば、三審制の法的安定性に問題が生じるというものである。

 しかし、この主張はわが国がいま、再審制度を見直さなければならない現実の前に、無力であるといわなければならない。一つは、これまでも散々言われてきたことだが、再審開始決定はあくまで「やり直し」決定であり、検察は再審公判で堂々と有罪立証できる、ということである。検察が有罪の根拠を持っているのであれば、再審公判で主張・立証すればいいだけ。ここで抵抗するのは、再審公判での有罪立証に自信がないから、入口で阻止しようとしていると取られても仕方ない。

 しかも、再審開始決定した事件の無罪率は圧倒的に高い。これは、あくまで検察が抗告をして、この決定を先延ばしすべきではないという根拠にはなっても、「法的安定性」の問題でも、再審公判で検察が争えない根拠にもならない。

 そして、もう一つは、もっと根本的な問題として、検察に「三審制」「法的安定性」を振りざして、抗告を維持すると主張する資格が果たしてあるのか、ということ。いかに「確定判決正しい」という無謬性神話にしがみついても、この国で誤判・冤罪は生まれ、検察官抗告によって、再審決定が一度出されてから、無辜の救済が年単位で遅れてしまっている現実。この現実は、むしろ「法的安定性」を欠いているとなぜ、見ないのか。

 「百人の罪人を放免するとも、一つの無辜を罰するなかれ」という推定無罪でいわれる刑事司法の原則。形式的に起訴・有罪認定の場面で働くとされながら、わが国の実務では、一旦有罪が確定すると、ひとえに事実認定の確定力が重視されることによって、前記大原則がものの見事に吹っ飛ばされている現実がここにある。

 まさにここで問われているのは、確定判決の安定・刑事手続きの終局性重視と、前記推定無罪の考え方にのっとった無辜の一刻も早い救済である。後者を吹っ飛ばしても、あるいはその危険性を排除しないまま、確定判決の安定性などを重んじる考え方の先に、この国の「法的安定性」が確保できるとみる歪さである。

 もっと言ってしまえば、検察側の本音はとっくに透けている、といわなければならない。再審公判で無罪判決が出れば国家が誤って人を罰したという結論となり、それは同時に組織の敗北、組織全体の誤りが確定することであり、それを何としてでも回避したい意識。確定を遅らせれば、場合によって当事者死亡でうやむやに終わるという逃げ切り意識。再審無罪が及ぼす類似した構造の他の確定判決への波及の恐れ、再審プロセスへの検察の拒否権という権限死守の目的化――。

 こうみれば、抗告を死守する方向で頑なな検察側主張は、あくまで不正義のうえに主張されている「法的安定性」であり、もはや邪道といってもいいようにとれるのである。

 「誤判はたんに観念的な可能性としてではなく、現実的な実体として存在する。それは、雪冤を果たした過去の誤判事件の数々が示すところであり、これらの事件にみられた誤判原因は、いまも残存している。誤判は、最大の人権侵害のひとつであり、このうえない不正義である」

「誤判を完全に回避することができない以上、迅速・確実に誤判を発見・是正し、無辜を救済するために、再審が十全に機能するようにしなければならない。このときにこそ、刑事司法は健全性を保持し、真の信頼を獲得することができる。再審法改正は、そのためにこそある」

 刑事法(再審関係)部会がとりまとめた改正の要綱を問題視し、再審開始決定に対する検察官の不服申立は禁止すべきなどとした、刑事法学者142人による4月6日による緊急声明は、こう締めくくっている。

 問われているのは、この国の司法が正義に踏み出し、邪道を排することができるのかどうかなのである。



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