司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 
 裁判員制度がずっとあいまいしてきたテーマの一つが、「市民感覚」ではないだろうか。制度が参加する市民の判断に期待し、存在意義に直結するキーワードであるが、果たしてそれは何なのか、ということは、実は棚上げにされてきたようにみえる。とりわけ、当の参加する市民側がこれをどう理解して、裁判に臨んでいるのか、そこの疑問が消えない。

 スタート10年でメディアが制度の現在に改めて注目するなか、5月10日の朝日新聞朝刊「裁判員10年 見えた課題」という企画記事の第1回を見ると、制度が抱える「市民感覚」をめぐる混迷のようなものがうかがえる。幼児の虐待死で良心の責任が問われた傷害致死事件で、裁判員が下した検察の求刑の1.5倍の懲役刑の量刑が、最高裁で覆された事例。「裁判員の怒りが込められた判決」「市民感覚に基づいた量刑」を最高裁が否定したことに、「我々は最高裁と違って証人と直接向き合った。軽く見られたようでとても残念」という、裁判員の不満の声を紹介する。

 その一方で、「あおり運転」を受けた夫婦の死亡事件で、危険運転致死罪の要件を満たさないとして、被告人の弁護士が無罪を主張することを報道陣に説明した事例。それに反発する著名キャスターの言がネットに流れ、無罪主張も許さないという圧力を感じた弁護士は、「予断を持たず判断していただきたい」と裁判員に求め、「罪刑法定主義」を何度も訴えたが、判決は危険運転致死罪を認めた。夫婦と同乗していた長女は「家族一緒に死ねばよかった」と語り、検察は声を詰まらせて求刑。裁判員の一人の「法律が分からないので個人的な感情が大きくなった」とし、これに対して刑法学者の「罪刑法定主義に違反した疑いがある」、ベテラン裁判官の「許せないという感情が影響し、ストライクゾーンを広げすぎた印象」という言葉が紹介されている。

 市民は、「感情」と「市民感覚」を区別しておらず、むしろ区別できないのではなく、区別する必要そのものが分かっていない。そして、それは本来的には、「市民は」ではなく、制度そのものがあいまいにしてきたことではないだろうか。その結果として、「感情」が入り混じった「市民感覚」が否定されることが、彼らにとっての当然の不満になって表れている。その否定がたとえ両者を峻別し、「罪刑法定主義」に基づくものだとしても、彼らは理解しないかもしれない。「裁判員制度は『市民感覚』で裁いていいものではなかったのか」と。

 これは、ある意味、制度導入時から分かっていたことである。「市民感覚」とはあいまいすぎる概念であり、参加する市民の感受性や事案の理解度によって、全く結論が変わって来る。そしてこのあいまいさは、結果の重大性に引きずられ、その責任を問う方向に流れることに非常に無防備だ。

 もちろん、彼ら参加市民に裁判官に求められているような、徹底した職業的自覚に相当するものが、前提的に備わっていることを制度は求めていない。制度の「民主的」意義が語られ、あたかも参加が国民の義務であるかのような自覚や覚悟が参加市民にあったとしても、「感情」と「市民感覚」を厳格に峻別するような自覚を制度が求めているわけでも、その訓練がなされているわけでもない。

 「法律の素人が大丈夫か」という不安の声に、制度推進派は度々、裁判員制度での、職業裁判官とともに裁く形のメリットを強調して来た。これを正面からとらえるのならば、市民単独で出した一審の量刑が覆されることを、「市民感覚」の否定、あるいは制度の趣旨を尊重していないとして批判することは矛盾しているし、先の例でいえば、ともに裁くメリットがあるはずの制度で、罪刑法定主義よりも感情が入り混じった「市民感覚」が優先されることが起きている、ということになる。むしろ、期待されたような機能は果たされていない、ということにもとれる。

 そもそも「市民感覚」重視の制度が、市民が理解して切れていない罪刑法定主義を含めた裁判の基本を踏まえなければならないのか、そのこと自体、市民は分からないはずだ。これも、市民が悪いのではなく、そこをあいまいにしか伝えず、彼らを参加させている制度の問題だ。

 朝日の記事は、市民の無罪評決に控訴できない米国の陪審制を念頭に、被告人に有利な方向の裁判員裁判判決の尊重を求める、市民の声は取り上げるが、結果として制度が積み残している、根本的なあいまいさの問題には腰が引けている印象だ。これが制度の根本にかかわり、これを言い出したら、制度が立ち行かなくなることを認識しているのではないか。

 しかし、いうまでもなく、このあいまいさの一番の犠牲になるのは、「裁く側」ではなく、「裁かれる側」である。スタートから10年経っても、まだそこに辿り付けない制度の現実である。



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