司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 

 「提案がない」ということは、いまや当然のように、ある種の議論を批判する時に登場する言い方である。「批判だけならば誰でもできる」といわんばかりに繰り出される、それは、議論・主張を「非建設的」と決めつける場合の、代表的な問題提起といってもいい。また、それは一定の分かりやすさをもって、社会に支持されているようにもとれる。

 

 ただ、これまでも書いてきたが、あくまでこれは現状を悪化させかねない提案に対する批判論には必ずしも通用しないことも明らかだ。いうまでもなく、端的にいえば、「やらない方がよい」提案に対しては、阻止することにこそ意味があるからである。

 

 ここに提案型の落とし穴がある。要は提案を押し通す側からすれば、この主張は、批判論から「提案」という妥協論を引き出すことにつなげられる効果があるということである。逆にいうと、この主張を正面から受けとめて批判者が、妥協的な「提案」を用意した時点で、少なくとも本来、阻止すべき案件の阻止実現は完全に失敗に終わる。

 

 批判者の側には、第一義的に阻止、それがだめなら、次善の策として「提案」のような繰り出し方が通用すると思っていると取れる方もいるが、ほとんど無意味と言わざるを得ない。なぜならば、妥協的「提案」を用意している相手側に対して、「提案」者がまともにその撤回を考えることなどは、ほとんどあり得ないからである。その意味では「提案」者側からすれば、「無提案」批判によって、「提案型」に持ち込んだ時点で、かなりの前進を勝ち得た格好になる。「なんらか」の実現が、見えたことになるからである。
 

 この「提案型」というテーマを考えるうえで、一つポイントになるのが、「見直し」ということである。ある政策・制度が実施され、一定期間したのちに、その間に明らかになった問題点を踏まえ、改良するという形について、基本的に批判する人は少ないだろうし、まさに建設的な方法と受けとめられていると思う。
 

 ただ、問題はこの「見直し」の基本的な扱いにあるというべきかもしれない。制度に対する「見直し」論は、どうも社会的に「制度推進」論としてカウントされてしまう(「苦しい裁判員制度世論調査結果」)。ただ、果たしてそうだろうか。一定の期間経過後に明らかになった「見直し」の必要性は、時に制度存続の決定的な条件となってもおかしくない。当然、問題が深刻であれば、その度合いを深める。つまり、「見直し」論には、条件付き推進論、要は「見直し」がきちっと実現しなかった場合は、この政策・制度を存続させるべきではないという現状に対する強い問題意識を含むことは容易に考えられるのである。

 

 前記エントリーで触れた裁判員制度に関する全国世論調査結果を伝える記事でも、「見直した上で続けるべき」56%、を「今のまま続けるべきだ」18%と合算して74%が「継続を支持」と位置づけるが、56%の人が現状にNOを突き付けているとみれば、彼らを「継続派」と括れるかどうかは、「見直し」の結果次第ということになる。

 

 日弁連という組織も、かつての徹底的な「批判者」のスタンスから、「提案型」に変わったという評価の仕方がある(「徹底抗戦できない日弁連の存在感」)。1990年代くらいから、日弁連の対外的な意見表明のなかに、かつてのような徹底的な批判論よりも、条件付き批判論ともいうべきものが目立ち出し、明らかにトーンが変わってきたとれた時期、「条件付き」の意味を会内の人間に問い質した時期がある。つまり、「『条件』の提案が通らなかったならば、どうするのか」と。

 

 当時、直接問題にかかわっていた人間の返答は、とてもあいまいであると同時に、それ以外の会員の反応も、それがはねられた場合に、日弁連が再び強硬な反対論に転じる、とみる人はほとんどいなかった記憶がある。結果・成果に対する評価はさまざまかもしれない。ただ、一ついえることは、既に多くの会員は、その時点で「条件」闘争によって、既に日弁連がかつてのような徹底抗戦はできなくなることを感じ取っていたはず、ということである。

 

 その後、「改革」をめぐり、さんざん会内推進論者から聞かれた「一歩前進」「一里塚」論も、結局、「条件」提示の形を取りながら、実質「条件」化しきれない「提案」の、妥協的な結末対してくすぶる会内不満への、極めて内向きな苦しい弁明であった、というべきだ。

 

 そういえば、かつての弁護士会や関係者の意見表明のなかには、「是非を含めて」とか「廃止を含めて」など、あえてそれが推進・存続ありきではないということを確認するような表現がみられた。姿勢をうかがう時に、取材者側がその点を念押しするように確認する場面もあったが、いまにしてみれば、それは見方によっては、ぶれない問題意識の確認、あるいはそれを伝えようとする意思を感じる響きを伴っていた。

 

 「改革」の「失敗」が現実問題として無視できない状況になり、「見直し」ということがさかんに言われ続けている。しかし、「見直し」が今、どういう制度の本質から必要になっているのか、そしてそれが本当に「見直せる」のか、そして「見直せなくても」果たしてこの制度続けられるべきなのか、という視点に、私たちは改めてこだわる必要があるように思える。

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