法科大学院を中核とする新法曹養成制度にあって、おきざりにされたのは、法学部と法学研究者養成である、という話を、随分以前から耳にすることになっていた。旧司法試験体制のなかで、合格者を輩出した実績がない大学までが、乗り遅れるなとばかり、前のめりに法科大学院制度創設に動く中で、今思えば、当時、不思議なくらい、今後、法学部と法学研究者養成はどうなるのか、が語られなかった印象が残っている(「『法学部』沈下という想定」)。
ある意味、法科大学院という新たな機関の登場によって、これらが少なからず影響を被ることは、関係者の念頭にありながら、十分、議論されず、テーマそのものが後方に押しやられた観がある。法学部は従来の法曹教育のなかで、十分な役目を果たしてこなかった、との烙印が押され、司法試験と司法修習につながる新たなプロセスとしての法科大学院の役割ばかりに光が当たった。
既習コース2年と未修コース3年の1年の差は、素朴に考えても、法学部の教育の4年がどう換算されたのか、疑いたくなる制度設計ではあった。大学が法曹養成の中核という役割を担うなか、法学系大学院は研究者養成にどのくらい注力できるのか、と同時に、今後現実的にどれだけの後継研究者を確保できる体制をつくれるのか、という疑問も当然あった。しかし、有り体に言ってしまえば、「優先順位」という言葉で置き換えられてしまいそうな司法改革の現実があったといわなければならない。法科大学院の登場とともに修士課程廃止の大学が登場し、法科大学院修了―博士後期という研究者養成ルートが出来ても、残念ながら、それは新たな道を開いたということにはならなかった。
最近、あるブログが研究者養成の現実についての悲鳴のような声を伝えている(「名大ウオッチ『法学研究者がいなくなる』」)。
「法科大学院の開設は本来、全く新しい学部を作るのにも匹敵する一大作業だったが、建物も人件費もほぼ従来のままだった。その結果、博士号を取得した、いわば研究者の卵を採用するために使われてきた助教ポストのほとんどが新しい大学院のために消えてしまった。卵たちはポストを得た後、留学したりしながら10年ほどかけて論文をまとめ、研究者として1人前になる、というのが一般的なコースだった。そうした博士たちの行き先がなくなってしまったのだ」
「実は、それ以前から研究者になるために大学院に進学しようという学生は減りつつあった。これは法学部にとどまらず、理系も含めた全体的な傾向ではある。大学院重点化で教授ポストが増え、若手のための助教などのポストが減っていたこともある。法学系では、法科大学院がそれにダメを押した形だ」
「理論と実務に通じた法律家の養成が理想だったが、実務志向が強くなり、法科大学院から研究者をめざす例は、皆無ではないが、ほとんどないのが実情だ。多くの大学で実務に長けた教員が求められるようになり、研究志向の強い教員は他大学への就職が難しくもなってきた。これでは、研究者をめざす若者が減って当然だ」
文系も理系も、実務志向ということが、一つのトレンドであるのは現実である。ただ、漸く最終的に失われるものに目が向けられ始めている。すぐに実務につながり、経済的なリターンが見込める研究だけが優先される結果、中長期的にみて学術的な研究が成果を出す領域が完全に欠落し、決定的な遅れをもたらすという危険性である。「優先順位」というのは、ここでも見直されるべきキーワードなのである。
さらに、法学研究者養成の今後について、さらに悲観的な見方もある。法学教育の新たな方向性として注目され始めている、「5年一貫法曹コース」構想(学部3年、法科大学院既習コース2年という志願的負担の軽減構想)が現実化した場合、実定法研究者志望者は現実的にこのコースに組み込まれることが想定される。ところが、この一貫コースのスタートは学部1年である。学部1年から研究者志望を固めるというのは、少なくともこれまではレアケースであり、法学教育を受けるなかで、法学研究に関心を抱くパターンが普通といえるだろう。つまり、この構想そのものが、まさしく実務家養成優先であり、研究者志望者をさらに遠ざけることはあっても、養成にプラスになるという代物ではない、ということなのである。依然として、「改革」路線のスタンスは変わっていない。
大学が研究者教員の養成に冷淡であるようにすらみえる現実は、素朴に考えて奇妙な現象であり、状況である。実務家志望者の確保でも法科大学院制度が壁にぶつかるなか、その制度設計の影響はそれにとどまらず研究者養成にまで及んでいる現実がありながら、「改革」路線は依然として、路線維持、「改革」で構築された制度維持から逆算された方向に向っている。「改革」路線に縛られず、あるべき法曹養成、あるべき研究者養成から逆算した発想にどこかで転換しない限り、この法曹養成にも研究者養成にも未来が切り拓けないところにきている。