米国トランプ政権によるベネズエラへの軍事介入とマドゥロ大統領の拘束、さらにはグリーンランドへの侵攻を示唆する発言。年明け早々、世界はこの事態に驚愕した。いかなる理由があろうと、主権国家への軍事介入、指導者の拘束・連行、併合の示唆は、国連憲章が定める「武力行使の禁止」「内政不干渉」の原則から、深刻な国際法違反に当たる、といわざるを得ない。
だが、日本政府と日本社会は、この事態の深刻さをどのように受け止めているのだろうか。高市政権は、ベネズエラの「民主主義の回復」や「法の支配」の尊重などに言及しながらも、これまでのところ前記米国の行為を「国際法違反」と断罪することを避け、明らかに抑制的な反応を示している。
大手メディアは、専門家の見解を取り上げるなど、一応「国際法違反」を指摘する扱いはみられるが、ベネズエラに関して、ネットなどでは、マドゥロ大統領排除に喚起する民衆の姿が取り上げられたり、トランプ政権の言う麻薬密売組織からの「自衛」という言い分に、一定の理解を示しているかのような反応もみられ、国際法上の正当性を問う声一色というにはほど遠い。
経緯は異なるとはいえ、ロシアのウクライナ侵攻の「国際法違反」について、あれほど強く批判的に反応したわが国は、今回の米国によるベネズエラへの軍事介入とグリーンランドへの侵攻示唆に対しては、明らかに腰が引けた対応と見られても仕方がない。「法の支配」の「ダブルスタンダート」と言える現実が露呈してしまっているといえるのだ。
もちろんこの現実に、日本の置かれた政治的な立ち位置を加味する日本人は多いだろう。北朝鮮の核・ミサイルの脅威や中国の海洋進出に直面する日本にとって、米国との同盟関係の維持は、最優先事項であり、その中での高市政権の反応は、理解でき、妥当なのだ、などと。
台湾問題で長年、「曖昧戦略」を取ってきた米国と日本政府の方針に反して、物議を醸す発言をした高市首相は、今回は対米国にあっては、さすがに「曖昧戦略」による国益を優先させた、ということもできる。対中国の国防という点で、国益に反するリスクを負っても、支持層から歓迎されそうな毅然とした態度をとった高市首相は、それが今回の、深刻な国際法違反の、国際社会を脅かす前例となる米国の行為には、米国追随の国益を取った、といえるかもしれない。
この高市政権が取った態度を、もし、正面から批判せず、むしろ批判できないわが国の現実と社会が受けとめるのであれば、わが国国民が、決して忘れてはいけない、この機会に強く銘記すべきは、ただ一点と言っていい。「日本は米国に対して、極めて現実的に筋を通せない」ということだ。
そして、その観点から日本の国防・防衛に関わる軍備増強や国防軍創設を言う論調に際しても、また、この現実を踏まえなければならないはず、ということなのである。現在の日米関係の現実からすれば、確実に米軍の軍事戦略に組み込まれ、「ノー」とはいえない。指揮統制は同質化し、事実上、米国の「矛」を補完する役割を与えられることになる。つまりは「独立した国防軍」という幻想である。もちろん、米国側からすれば、米国のグローバル戦略の下請けコストを日本に肩代わりさせる妙味もある。
ここまで見通せば、これまでの日米関係にあって、こうした流れにかろうじてならないで済んできた、日本側の唯一の切り札であり、歯止めであったのが、憲法9条であった現実もはっきりしてくるはずだ。米国の要求をかわす口実、ベトナム戦争や湾岸戦争でも派兵を求められても、憲法上の制約を理由に拒絶する、いわば「できない」といえる口実によって、米国の戦争に際限なく巻き込まれることなくやってきた、これもまた、日本の現実であり、国益である。
9条改定論は、この日米関係の現実を意図的に軽視あるいは無視し、前記「独立した国防軍」幻想のうえに、まるで「普通の国」になる道のこどく言うが、その先の現実的な日本の姿を国民に伝えない、アンフェアなものを常に感じる。国民が意識しないうちに気が付けは、どっぷり米国の軍事戦略の共犯者になっているという、逃げ場のないシナリオの現実味を、今回の高市政権の姿勢からも見通すべきではないか。
トランプ政権の「国際法違反」と、日本政府の姿勢は、日本が目を逸らしてきた日米同盟の非対称性や、憲法9条が果たしてきた役割までを白日の下にさらしていると見るべきである。